三田地さんの掲示板

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足あと
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北奥において鎌倉以来の久々の大きい戦いでありました。羽柴秀次を総大将とする中央軍、それに奥羽諸大名合わせて十万の軍勢が九戸城を包囲しました。全国から招集された兵、職人集団がここに集結したわけです。
(2018/04/22 08:33:29:三浦屋)

九戸政実の乱は
(2018/04/22 08:18:44:名無し)

足あと(2018/04/09 20:22:29:名無し)

戦国時代の戦いのイメージとうと勇壮な騎馬武者、旗差し物、歩兵、鉄砲隊、槍ぶすま、弓、城攻めといった処ですか、実像は?例えば甲州武田氏は金堀人夫集団を使って城の水源を絶ち落城に成功したことがある、秀吉は北条氏の小田原城攻めにおいて石垣山に城を築き、水軍も出動させています。軍団の行軍や本陣構築にしろ大工、人夫、木こり、石工、鍛冶など必要かと考えます。山師、漁師なども場合によっては使ったことでしょう。乱破や素破 (忍び、スパイ)は常に周辺に居たようです。
(2018/04/08 10:23:48:三浦屋)

足あと(2018/04/03 20:28:19:名無し)

戦国時代に、岩泉二升石の三上氏(南部四天王)は代官だったが、関東の北条氏も各郷に代官を置いていました。小代官は平時には郷内の民政を司り戦時には軍勢の催促に当たります。徴用される者は特別な訓練を受けているわけではありません。徴用者は弓矢を取るものだけでなく工匠が集められることもありました。
(2018/03/31 15:04:55:三浦屋)

このように伝承はあくまで伝承であり史実と異なる場合があり、一般的には100年くらいしか続かないそうです。ただし、例外もあるかと思います。
(2018/03/24 16:26:26:三浦屋)

この場合は城にまつわる伝承ですが、昔野伏が立て籠った城といわれてきた所がありましたが仙台市教委の調査では、戦国時代には付近の2~3の城を束ねる中心的存在であり、本格的な普請を行った城だったことがわかりました。市郊外にある国分氏の居城立ったところです。
(2018/03/24 16:14:02:三浦屋)

九戸攻めは秀次軍と奥羽諸大名の連合軍で実行され総勢十万とも言われました。この中に最上氏も参戦しています。山形の大蔵村のある地主の家は「先祖は九戸の落人である」との伝承を持っていました。もともと最上氏関連の人か他家所属の人かは解りません。
(2018/03/24 09:14:05:三浦屋)

その打手大将が蒲生氏郷でした。氏郷の軍勢だけでニ万五千人でした。九戸御陣は歴史上では中世最後の戦乱であり、これを境に近世に移行したといわれます。
(2018/03/18 12:44:22:三浦屋)

さらに「先祖は蒲生氏郷の家臣だった」という伝説をもつ家がやはり岩泉にあります。はじめは唐突な感じを受けましたが天正19年九戸御陣において、豊臣秀次を総大将として五万の上方勢が奥州に進駐しています。
(2018/03/18 12:25:08:三浦屋)

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