三田地さんの掲示板

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古代中国では、四夷(日本では蝦夷)なるものは中華の天子の徳を慕って来貢すべきものとの観念が成立していました。 古代中国の鏡の銘文に頻繁に見られる文言 があります。 多賀城はこの中華思想に基づき四夷(蝦夷)を服属させ国家に安寧をもたらすことを目的として設置されました。 鏡の銘文は、「四夷服、多賀国家人民息」 を典拠として多賀城(柵)と命名されたと理解できるのではないかと云っております。
(2019/06/08 10:35:30:三浦屋)

多賀城は、その城柵名も特別の命名であったと考えられます。「多賀」の名は、西海道を統括し古代中国朝鮮の使節を接待する機関である大宰府(大宰は、中国古代の官名であり、王を助けて国家を治めることの意味です。和名は、おおみこともちのつかさ)と同様に中国に典拠を求めるべきであるとしています。
(2019/06/08 09:51:44:三浦屋)

2019年5月記事の郡、郷、字地名の続きとなります。宮城県にある官衙多賀城 の命名由来について平川南という古代史学者が2012年発刊の自著でこのように述べているので少し紹介します。多賀城は大宰府と同様に東北の行政軍事全般を統括しさらに蝦夷対策の拠点となった機関です。多賀城は中華思想に基づき 蝦夷対策の 中核として設置されました。
(2019/06/02 14:42:33:三浦屋)

イヌの足あと(2019/06/02 09:19:26:名無し)

郡や郷、字地名については昔存在していたが今はない地名、漢字が削られたり変化している地名があるので 奇異にうつるかも知れません。しかしながらその形跡は相当に残っています。 時代が明治に移り陸海軍が創設されさらに変化しました。以前に書きましたが、旧陸軍が国土の測量図を作成したときに、それまで地元で使われていたカタカナ地名、字地名、複数地名、俗名など整理したので消えてしまった地名が全国的に数多くあります。
(2019/05/26 11:11:07:三浦屋)

コピー地名は他にもみられます。宮城郡の磐城、白川、多賀郷 と名取郡の磐城郷の郷名は 現在の福島県磐城、白河郡と茨城県多珂郡の郡名に由来します。これらの同一地名は宮城評(郡)、名取(郡)が置かれた頃に福島、茨城地方から移民があったことを示しています。この移民政策は、実は律令時代以前から行われていました。
(2019/05/19 09:33:08:三浦屋)

一例として福島の行方なめかた郡は茨城の行方市(旧行方郡)と同一地名です。律令時代政府は東北の開拓を奨めました。地方官衙が律令政府の許可をとりながら国、郡、郷を割り振り地名を付けていったのでしょうか。何れにしろ多分に政治色の濃い強制的な方法と云えます。
(2019/05/04 10:11:42:三浦屋)

またまた話題が逸れてしまいましたが、鉄生産の話しに戻りたいと思います。近江において官営製鉄所として整備された技術は短期間のうちに尾張、相模、常陸(他東国各地)など大平洋側を経由して移入されました 。相馬の場合、専門家は直接の技術導入先は地理的に近い関東を想定しています。その証左として各地に関東地名のコピーが見られます。
(2019/05/04 09:36:15:三浦屋)

信夫郡占領は結局、上杉氏の米沢転封 までお預けとなったわけです。伊達政宗が仙台城造営を急いだのも上杉氏の脅威を感じていたからに他なりません。
(2019/04/21 15:37:48:三浦屋)

関ヶ原戦にて東西の決着はついたものの、東北の治安はまだ安定したものではありませんでした。会津に反徳川の上杉120万石 がいて伊達と接する杉目、梁川両城に無傷の上杉軍が いました。 関ヶ原戦の徳川氏勝利 を聴き政宗は大軍を牽いて両城 を数度にわたり攻めたて ましたが、容易に落城しませんでした。
(2019/04/21 15:26:28:三浦屋)

慶長5年に関ヶ原戦が終了後仙台城下の建設が始まります。建設の初期において鍛冶町をつくり領内及び上方から鍛冶師、鋳物師を城下に集住させました。岩手東山地方の農村にはこれらの職人が尚残留しましたが、鉄砲刀剣などの武器及び鍬、鎌などの農具さらに鍋釜などの日用品の生産も伊達藩の統制下に入れられました。
(2019/04/21 13:25:59:三浦屋)

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