三田地さんの掲示板

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三浦介平高継は北畠顕家の命令に従わず行方不明となったわけですが、その 流れをくむという三浦氏がいつの頃からか袰綿御所近くの村に居を構えているのは単なる偶然でしょうか? また江戸時代のある時期、二升石の三上氏は袰綿御所の付き人(藩命?)だったこともあります。
(2018/02/12 08:06:07:三浦屋)

古来、松は縁起のよい樹木とされています。一般的な古い松は樹齢200年くらいが多いのですが、500~600年くらいの古木も東北に結構あります。この記念樹らしき三本松が「三上、三浦、三田地の来住伝説」に付会されて地名として残ったくらいですから、相応の いわれがあったと推測されます。
(2018/02/10 15:26:18:三浦屋)

岩泉町に三本松という地名があります。この名の通り昔から三本の松の 大木がある場所があって、この地名の 由来になったそうです。三田地家を 含む三家で記念的に植えたものと 伝わっています。三本のうちの一本 が、昭和21年頃まで残っていて写真も あったそうです。その松の伐採年輪は 370~380年の樹齢だったとのことです。350年と見積もっても西暦1600年 頃に植樹したことになり、世の中は、関ヶ原の戦いをしていた戦国末期の 時代だったことになります。
(2018/02/10 09:07:03:三浦屋)

内容の違うもうひとつの言い伝えがあります。二升石三上氏、小川三浦氏、 沢廻三田地氏は共に来住した話しです。この伝えは三浦氏にしか伝わって いません。三上氏は四天王の一家で あり江戸時代には花巻城代の任に あたった別格の家です。ただ思い当たることは三田地家では、先祖は普代の方から来たとか東北の方から来たという伝えをもっていることです。
(2018/01/28 11:49:56:三浦屋)

南北朝時代に北畠顕家が多賀国府に 赴任したあと領内武将たちの国替えを 行いました。三浦介平高継は代々五戸の地頭でしたが、八戸に知行替えを命ぜられたもののその指示に 従わず行方をくらませました。岩泉町 袰綿の小川地区の旧家三浦家では、この三浦介が先祖であると伝えられています。
(2018/01/28 09:54:00:三浦屋)

大筋では、はじめ普代に居て活動し のちに岩泉の二升石に来住したのだろうとの事です。普代城主格を削られた 一件が、尚更に普代の地名を残すことにつながったのかも知れません。
(2018/01/21 15:23:27:三浦屋)

普代、安家、野田は地理的にみて久慈 と宮古の真ん中にあり各々に拠点性を 持った地域です。三上氏は、異本系図 では普代を中心に数代にわたり活動の跡が伺えますが、異本系図は多分に太 平記の内容が反映されており信用度は それほど高くありません。
(2018/01/21 15:12:51:三浦屋)

戦国~江戸初期あたりまで三上氏は 岩泉二升石で代官をしていました。 屋号を小向といったので通称「小向代官」といわれた。岩泉来住は古く 1500年以降といい三戸の南部信直が 台頭してきた頃です。閉伊地方への 南部氏進出の時期とも重なります。
(2018/01/21 14:23:44:三浦屋)

三上氏は南部四天王の一家です。 南部氏の葬礼時は代々「一番火持ち」 の重要な役を務めていました。ただ、 天正19年に故あって普代城主格を削られています。九戸政実の乱に おいて三上氏の身内のなかに九戸方に 組した者がいたことが原因のひとつではないかと云われています。
(2018/01/20 16:00:40:三浦屋)

普代館跡の調査図を見ると山の中腹の一部、等高線に沿って段々畑のように 5~6段が削平(幅1.5~2m)されています。曲輪、土塁、門跡、通路 は全く見えなく館跡というより非戦闘 員(女、子、年寄り)の為の避難所に もみえます。あるいは造成途中だったかもしれません。見張り台としても 兵溜りや土塁の施設があるのは普通 です。付近に本城がありそうですが、 戦国時代の宮古地方の館は全て山城 であり、平地に居館を構えていた形跡 はありません。
(2018/01/13 14:35:04:三浦屋)

三陸海岸沿いの北の方に普代村という ちいさな村があります。譜代ではなく 普代といっています。その昔、南部四天王の一家三上氏(本名佐々木氏)が 住んだからとかアイヌ語からきた語源 であるなどと伝わっています。前述の 三上氏が住んだと云われる館跡が普代川南岸、太田名部側の山上にあります。
(2018/01/13 08:33:23:三浦屋)

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