崎浜さんの掲示板

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蔡国器(1632~1702)久米村蔡氏9世、実父は那覇の牛氏池宮城秀統。明末清初の動乱期、1653年国王請封と明朝勅印返還のために中国へ 渡り、のちに清国との交易をゆるされた。さらに動乱の続く中国へ、明・清両朝へ文書を携えて渡り、清国との関係維持に成功した。 角川書店 沖縄県姓氏家系大辞典より 池宮城秀統は本家4代目、豊臣秀吉に会ったことのある我那覇秀昌の長男
(2024/04/13 10:59:26:名無し)

池宮城秀意(1907~1989)ジャーナリスト。本部町生まれ。早稲田大学独文科卒。「沖縄日報」入社。戦時中は沖縄県立中央図書館の 司書に転じる。米軍の上陸直前、防衛召集。1946年ウルマ新報(琉球新報の前身)編集長。49年社長に就任。52年病気のため社を離れたが、 63年社長に復帰、74年会長。沖縄人権協会の発起人、平和をつくる百人委員会代表委員にも名を連ね、反戦・平和を主張し続けた。 琉球新報社編 沖縄コンパクト辞典より
(2024/04/13 10:41:31:名無し)

崎浜秀雄(1912~2003)那覇市出身。県立第二中学校卒、S31~S47琉球政府立法図書館長、S47~S48県立図書館長。沖縄の本土復帰と 同時に再生した、沖縄県立図書館の初代館長になった人。 崎浜秀主の五男
(2024/04/13 10:30:38:名無し)

崎浜秀英(1909~1994)経済人。那覇市出身。台北高等商業学校卒業後、日本勧業銀行台北支店勤務。1948、琉球銀行創立とともに同行に入行。 同行頭取、会長を歴任。琉球新報社編 沖縄コンパクト辞典より 崎浜秀主の四男
(2024/04/13 10:22:37:名無し)

崎浜秀主(1876~1962)那覇市東村(現那覇市上之蔵)に生まれる。早稲田大学出身、戦前は、教育畑で那覇商業学校の校長を務める。 戦後は沖縄中央銀行総裁(後の琉銀)、農林漁業中央金庫初代理事長を務める。
(2024/04/11 06:29:12:名無し)

伊江朝直は尚コウ王の五男で伊江家(向氏)に入婿します。朝直は11世で朝助が14世で15世が沖縄県出身で初めて大臣となった 伊江朝雄(1921~2007)になります。向氏とは第二尚氏の分家になります。伊江朝助、伊波普猷、崎浜秀主が写っている写真をみたことがあります。
(2024/04/10 06:03:58:名無し)

ウチナー紀聞というRBCの番組で、琉球王国最後の三司官、宜湾朝保を取り上げていた。廃藩置県直後に維新慶賀使の副使として東京 の吹上御所の歌会で和歌を詠むなど、当時を代表する歌人でもあったそうです。1876年に亡くなっていますが、その年は、崎浜秀主 (県初の沖縄県師範学校教諭)が生まれた年です。維新慶賀使の正使は伊江朝直でその曾孫が伊江朝助になります。伊江朝助と崎浜秀主 は友人関係にありました。
(2024/04/08 06:17:37:名無し)

ここでは、詳しく書けないので looewanan@gmail.com.
(2024/03/17 16:23:56:名無し)

詳しい情報ありがとうございます! サイト上に似た名前があったのですが、 時系列がおかしいため、別人でおそらく同姓同名の方かなと 思っています。 ただ、お墓に牛氏と書いていたので 崎浜には間違いないし、 崎浜秀〇とすべて男性には 秀がついているので 同じ崎浜家には間違いないと思います。
(2024/03/17 16:09:02:みゃおみゃお)

4代目秀統の三男は久米村の蔡家へ養子にいきます。蔡国器(高良親方上珍)を名乗ります。蔡国器の息子が蔡応瑞(高良親雲上献臣) で風水師です。応瑞の息子が蔡文薄(祝嶺親方天章)で四本堂家礼を著した人物です。
(2024/03/17 12:06:07:名無し)

崎濱姓を名乗るのは本部間切崎濱地頭職に転任した6代目秀盈からでした。名前は領地の配置換え等で変わっていきます。 兄弟、親子でも苗字は違うことはありました。同じ苗字でも、氏名が違えば違う門中になります。崎濱秀〇であれば牛氏系統 崎濱盛〇であれば、毛氏系統といった感じです。池宮城姓は4代目秀統の長男秀定から繫がる系統です。牛氏の本家は秀統の次男 秀政が継ぎます。現在の崎濱姓(秀〇)の方々はほぼこの方に繫がることは間違いないかと思います。さらに細かい系図では、 秀休家の系図を見たことがあります。各分家の系図が17世まで記載されています。秀休とは前述の秀盈、七代目秀筆、八代目秀房 の次男です。九代目は長男の秀綿が継ぎます。ちなみに私は、秀休(9世)の次男秀孟(10世)の次男秀挙(11世)の次男秀稟 (12世)の系統です。17世になります。
(2024/03/16 14:13:28:名無し)

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