渡辺のルーツ

概要

渡辺家紋 日本人の5大姓の一つ渡辺ですが、他の4つの姓とは異なり全国にまんべんなく多いという珍しい名字になります。 それでは何でこんなにも全国津々浦々に広がりを見せたのか、その始祖は誰なのか、発祥の地にはどこでいったい何があったのかを見ていきます。



渡辺の始祖

渡辺始祖

嵯峨天皇の子孫でありまた平安時代に活躍した源頼光に仕えた四天王の筆頭である渡辺綱(わたなべつな)という人物が渡辺姓の始祖とされている。 渡辺綱は非常に頼りになる武将で酒呑童子や鬼退治などをしたという人物です。

ちなみに同じ源頼光四天王の一人坂田金時(さかたきんとき)は金太郎のモデルになった人物です。 一方渡辺綱には鬼退治をしたという伝承が多いことから、ワタナベの名がつく家には鬼は来ないという言い伝えがあり、 節分のときに「ワタナベ」の家では豆まきをする必要がないという地域もあるほどです。


渡辺綱の子孫たち

渡辺子孫 山梨県富士吉田市の福地八幡宮という神社には渡辺綱が渡辺大明神としてまつられています。 この地域には渡辺姓も多く、当然綱の子孫とされています。 この地に伝わる渡辺綱の伝承から渡辺姓が広まった理由が少し見えてきます。 渡辺綱はこの山梨県富士吉田市に訪れたとき富士山の噴火後で、土壌が悪く作物が育ちにくい状態でした。そんな土地に農業を教えるとともに、武道も伝え、さらにそうして子弟に渡辺姓もあたえたのでした。 また渡辺氏は互助会のような組織をつくりお互いを助け合ってそれぞれの時代を生き抜いてきたこともあり、結束が強い一族でもあるようです。

渡辺発祥の地

渡辺発祥 大阪市中央区の天満橋から天神橋の間辺りが渡辺という地名があったところで、中世では摂津国の旧淀川河口近くにあった渡辺津と呼ばれる港でした。 この付近に住んでいた渡辺綱の子孫であろう武士団は「渡辺党」と言われ、当時の港であり都に通じる玄関口とされる経済的な要所、さらに港を守る渡辺党は操船技術も持っていたと思われ、 天皇の名を受け全国に渡ったため、全国にまんべんなく広まっていったのではないかと思われます。 ちなみにこの大阪の「渡辺津」という土地は豊臣秀吉が大阪城築城の際に大阪城内に繰り入れたかったため、渡辺党を内地(現住所でいうと大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目付近)へ移動させてしまいます。 そこは渡辺町となりますが今では渡辺町は現在は存在しません。住所名としては過去大阪市東区に渡辺町がありましたが、昭和63年に市区町村合併により消滅してしまいます。 しかし当時「全国渡辺会」という団体の奔走により、番地を数字ではなく「渡辺」にすることで発祥の地大阪でも地名を残すことになります。 こうして全国でも非常に珍しい番地名が番号ではない「渡辺」という住所が生まれました。

渡辺姓繁栄の理由

渡辺繁栄の理由 こうして強い絆で結ばれた渡辺一族は他の姓では当たり前に行われていたことをやらなかったため急速に増えていきます。 当時、家を継がない次男三男などは、本家との違いを明確にするために住んでいる地名などから名乗る姓を変えるのが普通でした。 しかし渡辺姓の一族は分家となっても渡辺姓を名乗るものが殆どでした。結束の強い一族ならではですね。 このため他の姓と異なり爆発的に増えたといわれています。 とはいえ本家と分家を分ける必要がありました、 そこで渡辺一族は字を変えます。こうしたことから渡辺の「辺」の字には多くの種類が存在し全国では30種類以上の「ワタナベ」さんあるとも言われています。

渡辺の異字体

本家と分家を区別させるために発生したとされる渡辺氏の異字体。 その一部をご紹介します。もっとも有名なのは「渡邊」(旧字体)と「渡邉」です。

渡辺異字体一覧

ほかにも右下の「口」が「回」のようになっているものや、「方」ではなく「カ」になっているもの、右上の「自」と冠の部分を合わせて「鳥」のような字体のものなど、 おそらく使われていないだろうものもありますが調べれば非常に多く存在することがわかります。 ちなみに右下の仲が「方」となっているのがもともとの旧字体になり、始祖とされる渡辺綱もこの「渡邊」であったようです。 さらに他にも字体を変えるのではなく、異なる字を使うようにした渡部、渡鍋、邊辺、渡那部、綿鍋、綿辺、亘鍋、和田鍋などの「ワタナベ」さんもいます。

<現代に残る渡辺綱伝承

宮城県南部にある柴田郡村田町姥ヶ懐(うばがふところ)地区で約8割の住民がワタナベ姓の地域があります。 そこでは変わった豆まきが伝承されている。 そこでは、ここでは渡辺綱の伝承の一つである鬼退治した際に鬼の腕を切り取った持ち帰ったという伝説に由来する場所であり、 鬼をもって渡辺綱が訪れた土地と言われている。 しかし鬼は渡辺綱の母に化けて、渡辺綱をだまし、自らの腕を取り返します。 このことから鬼が腕をもって逃げないように「福は―うち」「鬼もーうち」という掛け声をかけ、さらには「鬼の目玉つぶれろー」と言いながら豆をまくといった、 渡邊綱の無念を晴らすような風習があるようです。 ちなみにその村では逃げた鬼のが滑って転んで手をついた跡がついている石や、その鬼が逃げる途中に死んでミイラになった遺体が保存されています。 もちろん真実かどうかは定かではありませんが興味のある方は訪れてみてください。

渡辺の家紋

最期に渡辺氏の代表的な家紋を紹介しておきます。 「三つ星に一文字」という家紋で戦国時代が好きな方であれば見たこともあると思います。 この家紋は「渡辺星」とも言われ、様々な家紋のベースにも使われているものです。





※この記事はNHK2017/10/12放送の人名探求バラエティー 日本人のおなまえっ!を参考に追加取材して作成されています。

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