苗字 目黒の由来
目黒姓に関するルーツ・由来のページです。"目黒"を冠する発祥の地や人口の多い地域、使われている字の意味、姓成り立ちや出自といった様々な観点で由来・起源を検証しています。またユーザ様よりよせられたこの姓のルーツや逸話等を掲載しております。本ページに未掲載の由来や逸話をご存知の方は情報提供いただけると助かります。
名字の由来と起源
【皆さんからいただいたコメント】
- 武士の家系。うちの家系は伊達家に仕えていた。家紋との組み合わせでルーツは鎌倉武士団の拠点「目黒」の地名を採ったと思われる。どういう経緯で北上することになったのか、いつから伊達家に仕えていたのか、その辺りを年寄りに聞いとけばよかったなぁ。
- 目黒の由来は旧武蔵野国荏原群目黒村児玉党と聞きますが、何故福島県、新潟県、北海道、宮城県に多いのでしょうか。会津藩との関連があるような気がします。
- 宮城の目黒です。親戚は福島県浜通りにもいますが遠縁で付き合い無いです。
家紋は『三つ団扇』(みつうちわ)です。
昔は結構な金持ちで山林をたくさん持っていたらしいのですが、曾祖父の代で事業が失敗して一家離散したので事情を聞ける年長の親戚がいません。
その昔、現在の目黒区にいた武士団だったのは確かなようですがその後の消息が不明で、子供の頃に伊達家に仕えていたとか聞いたことがあるのですが、本当なのかわかりません。
家紋が『三つ団扇』の目黒さんいらっしゃいますか?
- 宮城県在住の目黒と申します。伝説では、男鹿の目黒は、江戸時代初期に兄弟二人で、江戸武蔵の国から、秋田に来たと言われております。元々は武士で、佐竹の殿様と一緒に秋田に来たのでないかとも、説もあります。残念ながら、江戸中期に菩提寺の男鹿中滝川の瀧川寺は火災で、過去帖が焼け、ありません。瀧川寺は現在住職45代目の古いお寺です。男鹿の目黒は、江戸中期頃は初め、長百性でしたが男鹿の北部を治める肝煎りを務める家柄でした。、そして新田開発や、現在男鹿国有地の男鹿真山、本山の森林開発にも力を注ぎ、肝煎りと、大庄屋で、佐竹藩主が男鹿行脚で、目黒家に入り、その功績が認められ、佐竹藩主から江戸から来たことをちなんで、目黒の姓の苗字と、裃姿、帯刀御免を江戸中期に藩主から直接、拝領しています。秋田男鹿の目黒は、江戸中期から名乗っています。それが現在に至っております。その目黒家の江戸時代の活躍は、 佐竹家系譜の歴史にきちんと、記録され残っています。目黒家の活躍は、江戸後期にも現在の秋田市太平と河辺郡岩見三内の新田開発にも、注いだと、やはり佐竹家系譜にあります。江戸時代は、膨大田園、膨大山林を持っていて、今の男鹿国有林は、一時目黒家の財産だったことも、あったようです。
その、延長で、明治に入り少しずつ財産が無くなって行き、それでも、大正時代には、秋田県内の秋田魁新報の地主納税財産調査では県内男鹿、南秋田郡においては、
一番の地主であったようです。
当時の新報では、大正時代に県下5番目の地主と記載して、報道されております。その目黒家は、現在の男鹿市男鹿中滝川の旧家です。以上
- 祖父が福島県相馬の出身です。後にその祖父も会社員として目黒区に住んでました。我が家の家紋も三っ団扇です。
- 目黒清○は私に意地悪してきた女ですさいてー
- 目黒は、宮城県角田市や丸森町にも多い、伊達政宗公に支え、角田領主で、角田城の目黒の殿様だった。その子孫が、目黒の性を名乗って現在に至る
- 秋田県男鹿市には目黒さんが多い
- 目黒は、宮城県角田市や丸森町にも多い、伊達政宗公に支え、角田領主で、角田城の目黒の殿様だった。その子孫が、目黒の性を名乗って現在に至る
- 秋田にも、目黒の姓が、多いのに驚きました。
- 平安時代から続く苗字。鎌倉幕府で源頼朝公に仕えた御家人。東京都目黒区は目黒一族が領地として居た、地名の目黒が由来か、目黒一族領地として地名(豊島区は豊島氏領地)かは定かではない。
頼朝公から源義経討伐を命じられた御家人の一つで、平泉藤原に身を寄せていた義経公、弁慶法師討伐に東北へ向かい、そのまま会津、宮城方面に土着した、特に会津目黒姓は本家として会津若松で庄屋、商家として残って居ると本家の叔父が平安時代の仏像を取り出して教えてくれました。
- 平安時代から続く苗字。鎌倉幕府で源頼朝公に仕えた御家人。東京都目黒区は目黒一族が領地として居た、地名の目黒が由来か、目黒一族領地として地名(豊島区は豊島氏領地)かは定かではない。
頼朝公から源義経討伐を命じられた御家人の一つで、平泉藤原に身を寄せていた義経公、弁慶法師討伐に東北へ向かい、そのまま会津、宮城方面に土着した、特に会津目黒姓は本家として会津若松で庄屋、商家として残って居ると本家の叔父が平安時代の仏像を取り出して教えてくれました。
- 仙台本藩士及び白石片倉家臣のうち禄高10石以上の者1,932人の由緒書である「御知行被下置御帳」 (『仙台藩家臣録』(佐々久監修 歴史図書社 1978年)に2名記載。
伊達家はずっと仙台にいたわけではなく、それまでにあちこちを点々としているので、宮城県以外でも福島県伊達市近辺、山形県米沢近辺にも目黒は結構いる。
- 目黒の黒は田んぼの畔の事らしいです。馬とあぜ道を意味する馬畔(めぐろ)から目黒という字を当てたというのがルーツ。
- 私のルーツは新潟県です。
文字の意味から由来を探る
目の由来
種類: | 象形文字 |
意味: | め。まなこ。もくする。みる。 |
由来: | めを描いたもので、まぶたにおおわれているめのこと。 |
黒の由来
種類: | 会意文字 |
意味: | くろ。くろい。 |
由来: | この字の下部は火、上部は煙突に点々とすすのついたさまをあらわす。 |
地名から由来を探る
地名ルーツの名字は多いため地名に名字が含まれるものを見てみましょう。「目黒」を含む地名を都道府県ごとに表示しています。
※発祥の地や何らかの関わりがあることを保障するものではありません。もし
記載の地名と発祥の関係をご存知の方は是非教えてください。
住んでいる地域から由来を探る
本サイトのデータでは目黒姓の方は全国に25000世帯ほどいるようで、日本で781番目に多い名字のようです。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は東京都のようです。その後新潟県、福島県にいらっしゃる方が多くなっているようです。都道府県別在住数1位の東京都には目黒区、上目黒、下目黒、中目黒、目黒、目黒本町、2位の新潟県には目黒町などの地名があるようです。
順位 |
都道府県 |
世帯数 |
| 東京都 | 約3800 |
| 新潟県 | 約3500 |
| 福島県 | 約3500 |
| 宮城県 | 約2800 |
| 北海道 | 約2600 |
| 神奈川県 | 約2300 |
| 埼玉県 | 約1600 |
| 千葉県 | 約1300 |
| 秋田県 | 約980 |
| 岡山県 | 約520 |
全国分布詳細はこちらからご覧いただけます
目黒姓の成り立ち
目黒姓のルーツは地名と思われます。地名から由来する姓は名字の成り立ちとして非常に多いものです。例えば武士や貴族であれば、支配地域の地名、または本拠地がある場所や住んでいる場所から因んだ姓を名乗ったり、出身地の地名を姓としたりしました。
目黒姓の出自
出自の確証がとれないため、おそらく庶民の出であると考えられますが、確かなことわ分かりません。
氏神の由来を探す
苗字にはその地域で称えられていたものに由来するケースもあります。ここでは"目黒"の名がつく神社を紹介しています。
みんなが知ってる目黒さんはこんな人
由来や発祥とは関係ありませんが、本サイトの
目黒姓のページで皆さんからいただいたご意見を集計した内容を表示しています。
本サイトのアンケートでは知力派の方が多いようです。またいい人の割合が多く比較的素敵な男性と、美しい女性が多いようです。
「目黒」さんについて教えてください!
苗字の由来
目黒姓の読み方や、ローマ字表記、名字としての分析や運勢など、もっと詳しい情報を知りたい方はこちら。
どんな人か教えて!!
あなたがご存知の「目黒」さんはどちらかというと頭を駆使する知力派、はたまた肉体勝負の体力派、それとも個性豊かな芸術派?
いい人ですか?そしてカッコいいまたはキレイな人ですか?
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こんな名前で呼ばれてます/呼んでます
自分はこんな呼称で呼ばれてます、または目黒さんへ皆さんが親しみをもって呼ぶときの愛称やニックネームを教えてください。好意的なものであればあだ名でも構いません。
※ひらがなでお願いします。一回に複数の呼称を入れないようにお願いします。
こんな名前に間違えられました
よく間違えて呼ばれる、誤って覚えられてしまう、宛先でよく間違えられる名前があれば教えて是非ください。結果は近日このページまたは特設ページにて公開させていただきます。
読み間違えはひらがな、書き間違えは漢字でひとつずつお願いします。
≪読み間違え≫※ひらがなで一つずつお願いします
≪書き間違え≫※漢字で一つずつお願いします