苗字 俣野の由来

俣野姓に関する由来・ルーツのページです。"俣野"がつく地名、同姓の多い地域、使われている字の意味、成り立ちや出自といった様々な観点でルーツを検証しています。また皆様よりよせられた名字のルーツや逸話等を掲載しております。掲載されていないルーツや逸話をご存知の方は教えていただけると助かります。

名字の由来

【皆さんからいただいたコメント】

  • 以前 東京から仕事で京都の会社の受付で入館手続きをしましたら、俣野さんのお名前がありました、 京都には俣野姓が多い故かと思いました。
  • 長野県東北部で俣野五郎は討ち死にの記載あり、 源平盛衰記の記載では、篠原の戦いで討ち死との事、
  • 大庭城の事、以前、藤沢市大庭城跡に行かせて頂きました、楽しかったです、近くには地名では「隠里」があり、大庭景親の館跡の伝承があるらしいです、愚文で申し訳ありません、
  • ネットより1部引用、1335年に足利尊氏は鎌倉幕府を滅亡させた。ここから推測、俣野氏の子孫は幕府方で亡くなり、 かたや、足利尊氏方で鎌倉幕府を滅亡させた俣野氏がいて、同族同士で戦ったのではないか、「家」を残すためか?。
  • 大庭先生(医師)もしやと思い、そしたら大庭景親がご先祖様 とのこと、私は弟の俣野五郎景久、もしかしたら800年かけて 遭遇したのかも、
  • 本、島から引用、38代目の仁衛門さんの個人の所有の島、仁衛門島の地図に石橋山の戦い後、源頼朝が隠れた洞窟の記載あり、仁衛門島に逃れた記載は吾妻鏡、源平盛衰記等に記載なし、俣野一族に口伝で伝えられてきたのか ?。
  • 実父より、夫を選んだ平将門の妻より、引用、 中世、兄弟間の間では、同じ文字、大庭氏は「景」 の文字が使われていたので、大庭景義、景親の妹の名前は、景子ではないかと、
  • 相撲大番役で京都に在京していた可能性があり、 赴任期間は不明、地元から京都「往復」のまでの 旅費は自腹と思います、相撲節会のやり方で河津三郎との相撲では勝手が違うので戸惑ったのではないか、
  • 俣野小太郎 宇治川合戦で手負い、承久3年(1221)6月13,14日宇治川合戦で手負いとの記載あり、吾妻鏡より引用。1
  • 大庭一族は7人か、大庭景義の妹は波多野氏の一族の松田義常に嫁ぎ、大庭景親の妹は佐々木義清に嫁いでいる、大庭は4人、女性を含めると6人となるのではないか、 .
  • 石橋山の戦跡、 先日救急車、車が高波で被害を受けた小田原市の海沿いの道路の上が、石橋山の戦いの場、
  • TVより引用、京都の六波羅でビル建築の際に平家の 六波羅跡が発掘され、500以上の建物の跡道があろうかとの事でした、もしかしたら俣野五郎はここのあたりにいたかもしれません。
  • 藤沢市西俣野の 故郷土史家のお方著作の俣野五郎景久の御本が、都立中央図書館にあると思います、
  • とともに自害した俣野氏、西還御家人の渋谷氏と俣野氏を含む関東武士達が九州へ、北条氏に伴われて信州へ行った俣野氏等。
  • 俣野五郎景久は波志田山の戦いで武田氏に負け、京都に逃亡、波志田山の戦いから逃げ、推測では3年間くらい京都にいて、それから篠原の戦いで戦死、京都に俣野姓が多いのはこの影響があるのでは、?。
  • 吾妻鏡より引用、承久の乱、(1211年)俣野小太郎(俣野景久の息子)は北条氏方の幕府軍で承久の乱に参戦と思われる、
  • 20年前くらい前、テレビ放送で九州の地で 鶴へ餌まきの場面に俣野さんの紹介があり、なぜ九州にいるのか疑問がありました、中世の宝治合戦後、渋谷氏に率いられた西還御家人のご子孫と思い ました。
  • 戦国時代の頃、信州にいた俣野の民は先祖が侍との言い伝えのあり、地元の上杉謙信勢と共に、足軽で出陣したと想像します、川中島の戦いも。
  • 家紋、辞典を引用、 中世、俣野五郎の家紋らしきものが1つありました、ネットを拝見すると幾つかあるとは、
  • 以前、神奈川県藤沢市西俣野の関係者が自費出版 の俣野五郎景久のから引用、 長野県北部の俣野一族の古老の言い伝えでは、源頼朝一行が石橋山の戦いから船で逃れ、千葉県鴨川近辺の仁右衛門島に着いた時、口封じの為船を漕いだ船頭を切り捨てたという口伝があり、都合で仁右衛門島の近くまで行く事ができました。

俣野さんの由来をこちらで募集中です!!

俣野さんの由来・ルーツ、逸話などをご存知の方教えてください。よろしくお願いいたします。

文字の意味から由来を探る

‘俣’の由来

種類:文字
意味:また。分かれている所。
由来:日本製の漢字。俟(まつ)の字形を変えて、「また」と読ませた日本製の漢字。

‘野’の由来

種類:会意兼形声文字
意味:の。のはら。ありのまま。自然の。いやしい。
由来:予ヨは、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、のはらのこと。古字の埜ヤは「林+土」の会意文字。

地名から由来を探る

「俣野」を含む地名を都道府県ごとに表示しています。

※発祥の地や何らかの関わりがあることを保障するものではありません。もし記載の地名と発祥の関係をご存知の方は是非教えてください

住んでいる地域から由来を探る

本サイトのデータでは俣野姓の方は全国に3300世帯ほどいるようで、日本で3849番目に多い名字のようです。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は京都府のようです。その後大阪府、東京都にいらっしゃる方が多くなっているようです。最も多い京都府と2番目の大阪府の差は倍以上あるため、もしかすると京都府がこの苗字発祥の地といえるかもしれません。俣野姓の方は3位までの都道府県における地名には見られないことから、地名が由来というわけではないと思われます。
順位 都道府県 世帯数
京都府約1100
大阪府約360
東京都約280
岡山県約230
福岡県約190
兵庫県約170
神奈川県約100
埼玉県約100
奈良県約90
千葉県約80

全国分布詳細はこちらからご覧いただけます

俣野姓の成り立ち

地名

地形

職業

事物

拝領

合略

明治

派生

外来

俣野姓の由来は地名と考えられます。地名由来の名字は名字成り立ちとして圧倒手に多いといわれています。例えば貴族や武士の場合、本拠地がある場所や住んでいる場所、または支配地域の地名から名字を名乗ったり、出身地から名字を取ったりしました。

俣野姓の出自

武家

公家

庶民

アイヌ

蝦夷

琉球

台湾

中国

朝鮮

その他

出自の一説としては厳しい戦国時代を生き抜いた武家と思われます。

氏神の由来を探す

みんなが知ってる俣野さんはこんな人

由来や発祥とは関係ありませんが、本サイトの俣野姓のページで皆さんからいただいたご意見を集計した内容を表示しています。 本サイトのアンケートでは体力派の方が多いようです。またいい人の割合が多く俣野姓の方は眉目秀麗な男女が多いようです。

「俣野」さんについて教えてください!

苗字の由来

「俣野」さんの由来やルーツ、発祥の地に関すること、一族の伝承や秘話等、この苗字に関するさまざまな逸話を教えてください。
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俣野姓の読み方や、ローマ字表記、名字としての分析や運勢など、もっと詳しい情報を知りたい方はこちら。

どんな人か教えて!!

あなたがご存知の「俣野」さんはどちらかというと頭を駆使する知力派、はたまた肉体勝負の体力派、それとも個性豊かな芸術派?

知力派

ありがとうございました。

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体力派

ありがとうございました。

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芸術派

ありがとうございました。

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こんな名前で呼ばれてます/呼んでます

自分はこんな呼称で呼ばれてます、または俣野さんへ皆さんが親しみをもって呼ぶときの愛称やニックネームを教えてください。好意的なものであればあだ名でも構いません。
※ひらがなでお願いします。一回に複数の呼称を入れないようにお願いします。
かな

入力してください。

ひらがなで入力してください。

ありがとうございました。

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こんな名前に間違えられました

よく間違えて呼ばれる、誤って覚えられてしまう、宛先でよく間違えられる名前があれば教えて是非ください。結果は近日このページまたは特設ページにて公開させていただきます。
読み間違えはひらがな、書き間違えは漢字でひとつずつお願いします。
≪読み間違え≫※ひらがなで一つずつお願いします
かな

入力してください。

ひらがなで入力してください。

ありがとうございました。

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≪書き間違え≫※漢字で一つずつお願いします
漢字

入力してください。

英数字以外の全角で入力してください。

ありがとうございました。

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