三田地さんの掲示板

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鈎取地区には伝説があります。現在の日本平地区は 団地造成前には標高160mの山であり名称が羽黒山 でした。この頂上には昭和40年頃まで羽黒神社(1056年創建)が建てられていました。その昔この神社の鈎を管理する神官が麓に住んで重きを成していたので地名鈎取になったとの言い伝えです。別当寺は山田地区に存在したそうです。
(2023/06/04 21:56:23:三浦屋)

羽黒山の宗教上の職制は、 1執行 2院代 3知事 4寺家 5承仕 6鑰取 7燈明役があります。この職制は昔から変わっていないと考えますが、行政上の制度もあります。この中で鑰取職というのは単に鑰の管理者でありさして重要職とは思えないと言っています(羽黒山)。ですが、少いながらも現代までその地名を方々に残していることはそれなりに意味のある事象であったように感じています。たしか中部地方だったか、現在でも地区内の神社の鑰管理者を年度ごとに持ち回りで決めている町内があったと記憶しています。やはりこれも『鑰取』或いは『鈎取』と称していました。
(2023/06/04 08:47:55:三浦屋)

検索中に偶然にも地名『鈎取山』を川崎町前川地区に見つけました。こちらは本物の小字名のようであり意外でした。鈎取職と云うのは元来、律令政府の職制の名です。文字どおり寺や神社の鈎を管理保管する官人でした。東北では山形県の出羽三山神社にその職制を残しています。
(2023/05/28 20:30:36:三浦屋)

かつて、青葉山ゴルフ場があった地区は造成が進み現在は東北大学用地となっています。ゴルフ打ちっ放し場も近くにありますが、この南側高地が海抜200mの鈎取山です。三角点となっており旧名取郡と旧宮城郡の郡境です。この東側の沢が竜の口沢に繋がっています。この鈎取山は実は正式名称ではなく散策の山として管理者の国側で名付けたそうです。言ってみればイメージでしょうか?全体的には青葉山か八木山ということになるのでしょうが、異説を掲げれば範囲的にも鈎取山でよいのかも知れません。
(2023/05/27 21:06:44:三浦屋)

紅堂の向かい側、笊川ざるがわの対岸に仙台市立西高校がありますが、このあたりを御堂平みどうだいらと言っております。遺跡包含地に指定されていた所で高校新設前に仙台市で発掘作業が実施されています。仏堂跡が発掘され平安末期~室町期に在ったことが解っています。規模は単独の仏堂で三間×三間の宝形造りで、地山を削った基壇や礎石が発見されています。寺院跡ではなく単独の仏堂なので角田の高蔵寺や白石市の堂田遺跡のような形態だと思われます。位置も異なるので紅堂とは別のものでしょう。
(2023/05/27 16:48:57:三浦屋)

足あと(2023/05/27 16:22:03:名無し)

鈎取地区に国立病院機構西多賀病院がありますが、その北側に『紅堂』の小字地名があります。正式な記録は残っていませんが、その昔まばゆい朱色の立派なお堂が建っていたので紅堂べにどうの地名が残ったのだそうです。弘法大師が入定した承和2年(835年)に造営されたという伝説を持っている地名です。1900年後半に作成された伊達藩の安永風土記には廃堂の記載がないので江戸時代には既にお堂は存在していなかったと思われます。仙台市教委においても遺跡包含地の対象としておりませんが、付近に『大仏』や『御堂平』の仏教地名が残っているので注意したいと述べております。
(2023/05/21 13:54:16:三浦屋)

その旅の僧侶が高名な弘法大師であったと云う伝説です。茶屋で井戸を設置してからこの地域の水不足は解消したといい以来、屋敷内に祠を建て『火防講』の儀式が戦後まで続いていたとのことです。その祠は現在でも屋敷内に奉られております。
(2023/05/06 11:48:13:三浦屋)

弘法大師伝説は仙台市内の鈎取かぎとり地区の旧家にも伝わっています。岩沼から北に進む愛島街道すなわち初期の東街道は名取川を栗木渡しで越えます。渡河を終えた旅人は鈎取宿の茶屋でひと休みしたそうです。宿場は西方に羽黒山(現日本平団地)を望む高台にあり、人々が日頃水汲みに難儀していました。あるとき旅の僧侶が茶屋の屋敷内に水脈を探しあて井戸掘りを奨めて行ったそうです。
(2023/05/06 11:29:42:三浦屋)

『丹』の語意はそもそも鉱物の水銀を差しております。弘法大師(真言宗開祖の空海)は中国にわたり様々な研鑽を積んでいます。なんと工業技術分野の知識も修得しており、実際に大師伝説のあるところ鉱床や水脈、井戸とも繋がっているケースが多々あります。本山として高野山を選んだのは豊富で高価な水銀鉱床を抱えた地域であることからわかります。花巻の丹内山も水銀系鉱石や丹砂の地下資源を抱えているのかも知れません。全国に派遣された高野聖りは廃寺復活と布教活動を兼ねながら地下資源調査を実施していったのかも知れません。
(2023/05/04 14:23:11:三浦屋)

弘法大師伝説は全国津々浦々に存在していますが、この丹内山神社もその昔弘法大師の弟子が不動明王を設置して『大聖寺不動丹内大権現』と称して祭っていたとも云われており後年になって現在の名称になりました。
(2023/05/04 08:26:25:三浦屋)

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