「川上」さんの苗字愛について
川上さんがみなさんに慕われているか、またはご本人が苗字にどれだけ愛着があるかについて、本ページの「川上さんの苗字レベル」により苗字にたいする愛を示してくれた方々ポイントをもとに判定しています。
文字と画数 | 文字の意味 |
川 |
3 |
かわ。水の流れる地形。 |
上 |
3 |
うえ。 あがる。のぼる。 地位や身分が高い。順が先。優れたもの。 |
苗字愛 |
3
|
この名字を支持する人が増え始めたようです。もしあなたがまだ投票していなければ是非投票ください。投票は下の卵を
|
<< 詳細ページに戻る
川上さんの苗字愛 レベル
|
苗字レベル:12 | ポイント:127 |
「川上」という苗字への愛がある方は右の卵をクリックしてください。
出た数字だけポイントがたまり、たくさんたまると苗字レベルが上がります。
※卵は1日1回割ることができます。
|
同じ名字の有名人の名前
同じ苗字の武将
川上久朗
|
かわかみひさあき |
生没:1536~1568 |
薩摩島津氏一族の重臣で、義久の老中職。忠克の子で兄忠頼の早世により家督を相続、通称源三郎、左近将監を称す。弘治元年の蒲生合戦では大隅北村城戸で、また永禄四年の大隅廻城攻めにも日夜奮戦。しかし同十一年の菱刈氏との薩摩大口城の戦いで苦戦に陥った義久を身を挺して守り負傷、鹿児島へ戻り着くがその傷がもとで歿した。 |
川上忠堅
|
|
|
|
川上忠克
|
かわかみただかつ |
生没:生没年不詳 |
薩摩島津氏一族栄久の子で通称又九郎、上野介を称す。貴久・義久の老中職。はじめ薩州家実久に属し串木野城を領したが、天文八年実久が貴久に串木野城を明け渡し降伏、以後貴久に属した。天文十五年には義久の元服に立ち会い、同二十一年には兵道書を記す。さらに同二十四年には自領中村白山権現の再興に尽くしたという。 |
川上忠智
|
かわかみただとも |
生没:生没年不詳 |
島津氏の重臣で、義弘の飯野城時代の家老。忠興の子で通称左京亮、三河守を称す。日向高鍋・栗野・大隅馬越・蒲生地頭。天正八年の肥後矢崎綱田城攻めや天正十二年の島原合戦で活躍した。特に島原合戦(沖田畷の戦い)では龍造寺隆信の首を挙げたとされるが、一説に首を挙げたのは子の左京亮忠堅ともいう。 |
川上さんの基本情報
漢字 | 川上 |
多い都道府県 |
|
読み方 |
かわかみ、かわうえ 、かわのうえ |
ローマ字 | KAWAUE |
総画数 | 6画 |
推定人口 | 約144,200人 |