渡辺さんがみなさんに慕われているか、またはご本人が苗字にどれだけ愛着があるかについて、本ページの「渡辺さんの苗字レベル」により苗字にたいする愛を示してくれた方々ポイントをもとに判定しています。
渡辺雲州
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渡辺教忠
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渡辺守綱
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わたなべもりつな |
生没:1542~1620 |
徳川家康の家臣。通称半蔵。槍の名手とされ、1557年に家康に仕えて以来各地を転戦して戦功を挙げ、特に三河八幡合戦での活躍により「槍の半蔵」の異名を持つ。後に尾張義直付けとなり、大坂の陣にも参陣した。 |
渡辺勝
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わたなべすぐる |
生没:?~1524 |
安芸毛利氏譜代の重臣。元就の家督相続時には連署状を井上元兼と猿掛城へ届けるなど協力したが、後に尼子経久に通じ元就の庶弟元綱擁立に加担したため、元就に謀られて吉田郡山城に呼び出され成敗された。 |
渡辺信濃
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渡辺長
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わたなべはじめ |
生没:?~1612 |
通の嫡子。幼名は虎法師、小三郎。後に石見守・飛騨守。天文十七年の備後神辺の戦いを皮切りに、弘治元年の厳島合戦や永禄四年の門司表の戦いなどに活躍した。天正十六年には毛利輝元に従って上洛、秀吉から豊臣姓と従五位下飛騨守を授けられた。 |
渡辺通
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わたなべとおる |
生没:?~1543 |
毛利元就に成敗された譜代重臣勝の子。父勝の誅殺の際に備後へ逃れたが、甲山城主山内直通の取りなしで後に帰参、以後侍大将として活躍。天文十二年石見侵攻に失敗した大内氏が退却する際、殿を務めた元就の身代わりとなり尼子勢を一手に引き受けて壮絶な戦死を遂げた。 |
渡辺了
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わたなべさとる |
生没:1562~1640 |
通称勘兵衛。羽柴秀勝、中村一氏、増田長盛と仕え、関ヶ原敗戦での大和郡山城開城時の際だった進退で注目を浴び、この後藤堂高虎に仕えた。「槍の勘兵衛」と恐れられたが、一匹狼的性格が災いし主君高虎と対立して退転、侍を捨て睡庵を名乗り京で隠棲した。 |