部のつく苗字はなぜ多い?
概要
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部のつく名字は全ての名字のルーツ!?
古墳時代や飛鳥時代の名前が記録されている資料「日本古代人名辞典」には豪族だけでなく現在見つかっている庶民の名前までも全て記録されています。
この「日本古代人名辞典」において部のつく苗字は非常に多く、少なくとも半数、多ければ9割近い人の名字が部ついたという説もあるほどです。
今ではそれほど多くない部のつく苗字いったいどんな経緯があって、古代にはこれほど多く、また現代はこれほど減ってしまったのでしょうか。
なぜ古代では部のつく苗字が多かったのか
部のつく苗字が多く生まれた時代は古墳時代。この時代は日本が統一されていませんでした。地方には多くの豪族が支配しており、その中で天皇家が日本を統一しようと動いていたそうです。
統一するために地方豪族を天皇家に従えていく中で、支配した豪族を中央の支部として「部」(べ)と呼んだようです。
その地域を支配者である天皇の親しい人が支配します。その際に「部」の中で仕事の名前ごとに人を呼ぶようになったことが名字の始まりと思われています。
仕事からつけられた名字
例えば雄略天皇の身の回りの世話をする仕事は、雄略天皇の本名「大長谷若武命」の「長谷」に部を付けて「長谷部」と呼ばれたり、
絹糸から布を織る仕事の「機織」に「部」をつけて「機織部」(はたおりべ)と読んだりしました。
この機織部の「はたおりべ」がなまったり、服を作る仕事ということで「服部」(はっとり)となったとも言われています。
他にも川の渡しのお仕事をしていた人が渡部(わたべ)とよばれたり、 矢を作るお仕事の人が矢作部(やつくりべ)と呼ばれており、それが縮んで「矢部」となったり、 高級織物を作っているひとは綾部、 亀の甲羅を割った占いをしていた人は浦部、 白鳥を捕まえる仕事のひとは鳥取部(とっとりべ)、 子供を教育を管理する人は小子部(ちいさこべ)、 偉い人の赤ちゃんをお風呂に入れる人は湯坐部(ゆえべ)、 犬を飼育し、要所を護衛する仕事の犬養部(いぬかいべ)等もあります。
近くに住んでいた人由来

今はない部のつく苗字
部のつく苗字が減った理由
