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長櫓の世帯数

長櫓姓の富山県内分布

このページは長櫓さんが富山県に何人くらいいるか市区町村毎のおおよその世帯数を表したものです。 長櫓さんの分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。

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富山県の推定人口データ無し人程度 富山県の推定順位
順位 市区町村 長櫓姓人口
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長櫓姓の由来

  • 私は庭瀬に住む者ですが花尻に長櫓の姓は多いです。 同級生にも長櫓さんは何人かいました。この辺りは当時は海で吉備の国の入口、敵から国を守る要の地だった事から【櫓】=船を漕ぐ水軍隊 【長】=頭・トップ・リーダーと推測できます。吉備津神社の古書にも書かれている通り古墳ー飛鳥時代から続く最古の名字には間違いないと思います。
  • 古墳時代までさかのぼる歴史ある苗字です。 大和朝廷と対立する吉備国の水軍を支配して 一族との説が有力です。平安時代に書かれた吉備津神社の古書にも吉備国の重要な要人で櫓を漕ぐ水軍の長(支配者)=長櫓と言う苗字が存在した事が記されています。 現在でもその子孫は岡山市北区花尻地区に集 中しておられます。
  • 吉備国の水軍の頭、大和朝廷との戦いで大きな勝利とその功績を称え吉備国の国王から苗字が与えられたと吉備津神社の古書に示されています。
  • 現代に例えると大和朝廷との戦争で吉備国の海軍を率いたトップ→連合艦隊司令長官だった人です。
  • 当時、吉備国は大和朝廷と対立しており、たびたび争いが絶えませんでした。今で言う吉備国の海軍で船を漕ぐ櫓とその軍の一番偉い人(長)だけに長櫓と言う苗字が与えられたと吉備津神社の古書に記されています。
  • 平安時代からの古い苗字ですが、代々一族から一人だけしか苗字継承できなかった為、人数も少なく、地域も広がりませんでした。現在、100名前後しかいない苗字ですが、その大半は岡山市北区花尻地区に集中しています。
  • 平安時代からある岡山県でも最も古い苗字の一つです。櫓は船を漕ぐ道具、当時は櫓を漕ぐ船員が多くいました、その組織を束ねて支配してた長(頭)にだけ長櫓と言う苗字が与えらたと伝えられています。長櫓を頭にした組織は当時は船の交通網の役割だけではなく、吉備の国を敵から守る水軍の役目もあり、国の重要な要人として吉備津神社に仕えていました。現在ではその子孫は吉備津神社の東口、吉備津彦神社では南口にあたる花尻地区に多く住まれいます。
  • 吉備津神社に仕えた人で当時はこの辺りも海で来客者は舟で往来していました。多くの櫓を漕ぐ舟員がいてその集団を束ねたていた長(親方)を長櫓と呼んだそうです。歴史の古い名前で現在の岡山市北区花尻地区に集中しています。

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