名字の由来
※苗字の由来です
名字の由来
名字の由来にはいくつかの種類があります。地名を由来にするもの、地形を由来にするもの、方角や向きを由来にするもの、職業を由来にするもの、主君より拝領したものなど様々です。 中でも多いのは「地名を由来にするもの」です。
ここではそういした名字の由来を検索することが出来ます。
ただ名字の由来はその家に呑み伝わっているものが多く、そうしたルーツに関する伝承についてみなさんがご存知の由来がございましたら教えていただけると助かります。 情報の提供は上記フォームより検索いただき、各名字の由来ページにて投稿フォームがございますのでそちらよりお願いいたします。
ここでは一般的な名字の由来についてパターンごとに詳しくみていきましょう。
地名に由来する苗字
地名をルーツとする名字は最も多いパターンと言えます。苗字は地名を名乗ることから始まったといっても過言ではありません。 例えば貴族や豪族は支配する場所の地名、居城を構える地域の地名を名乗っています。
貴族は母親の邸宅で育つことが多いため、育った母方の地域名を名字としているケースが多く見受けられます。例えば九条家、西園寺家、近衛家などです。 こうした受け継がれた名字が平安時代後期になると、広がりを見せていき、自ら開拓したり支配した土地にも広がっていき地盤を築いていきます。 そいうった人々が次第に武力集団となり、武士として土地の所有権を主張するために支配地域の地名を名字として名乗り始めます。 また地方の監督官として赴任した者たちもその荘園の名称を名乗ったり、管理している郡の名称を名乗ったりした。 このように自らが住んでいたり、支配・管理した地名を名乗るということが頻繁に行われました。
こうしたけいこうは次第に庶民にも広がっていく、大化の改新後部曲(豪族の私有民)が廃止されると、やがて庶民は自分の住んでいる土地を名字として名乗るようになったとみられます。 庶民が名乗る地名は現在の字のような小さい多淫の区域名を名乗りました。
地形に由来する苗字
一つの集落の中で地名を名乗ることが出来るのはその支配者や管理監督者であったため、庶民は自分が住んでいる地域の地形や風名、方位などから名字を名乗ることが多かった。 例えば川、池、田、畑、野、原、林、森と言った地形を名乗った。
しかしこうした一文字だけだと多くが同じ名字になってしまうため、方向や位置と合わせた名字とした。 つまり山の下に住んでいれば「山下」、川の上流に住んでいれば「川上」、田園の西側に住んでいれば「西田」と言った具合にである。 こうした方位には東西南北、上下左右の他にも前後、遠近、前奥、横、脇なども使われた。
また名前に付ける際にわかりやすいシンボルとして木のような高く目立つものが好まれた。例えば遠くから目立った高い松の木の下に住んでいれば「松下」といったようにである。
初めはこうした自然環境に由来した地形を使ったものが多くみられたが、集落が大きくなるとやがて人工的な建物や施設に由来したものも出てくる。 橋や寺、堀、宮、渡、館、城、室などである。 なかでも橋のつく名字は多く、川を渡るために小舟で渡していた時代に立派な橋ができることは地域の住民にとって発展の象徴であり、誇らしいものであったため、橋をシンボルとして名乗ったとみられます。
職業に由来する苗字
職業に由来した名字も多い。職業には公的な仕事つまり公務員と、私的な職業、生業がある。 公的な職業には役職名・官職名にちなんだ苗字にすることが多い。
例えば機織り役人には織部といい、織っている物に合わせて服織部や錦織部といわれ、そこから「服部」や「錦織」と言った苗字が生まれる。
他にも村を統括する村長は村主、荘園を管理する役人は庄司、役所の仕事や税の取り立てを行う役人は公文や税所、動物を管理している役人にはその動物の名前を付けて鵜飼や犬飼といった苗字を名乗った。
拝領に由来する苗字
領主が部下に与える防備は金銭や宝物、所領の他に、名誉の褒美として名字を与えることもあった。苗字は代々受け継がれていくものであり、中世の証としても重宝した。 こうした週間は武士から町人まで様々な階級で行われており、主と同じ名字の他に新しく作った名字、挙げた手柄に由来する名字を与えることもあった。 そうした拝領による新しい苗字を由来とした珍しい苗字があり、例えば源頼朝に追われる義経に風呂を貸した家の主人が義経から拝領したといわれる「風呂」、 三方ヶ原の戦いで敗走中の徳川家康に粥をふるまった家の主人が家康から拝領した「粥」、武勇百人に勝ると称賛され肥前竜造寺隆信から拝領した「百武」などである。貴族由来の名字
貴族由来の名字とは「源平藤橘」を由来とする名字です。 名字はすべてこの4つを源流とするといわれていますが、実際には「藤」の藤原氏が圧倒的多数を占めます。
藤原氏の繁栄を象徴する人物が藤原道真で、自分の娘を皇室に入れることで自らの地位を確かなものにし、最終的に皇后(天皇の妻)、皇太后(天皇の母)、太皇太后(天皇の祖母)をすべて自分の娘で占め、 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んで我が世の春を謳歌します。
このように隆盛を誇った藤原氏は平安時代には貴族の半数以上を占めるまでに至り、同じ氏族の中でも上下関係を区別したり、自ら家を差別化するする必要が出始めた。 例えば伊勢の国に所領を持った藤原氏は「伊藤」、遠江の領主は「遠藤」、加賀の国の藤原氏は「加藤」、近江の国の藤原氏は「近藤」と名乗った。
また役職や職業にちなんだ藤原氏もいて、伊勢神宮の斎王に奉仕する官僚となった藤原氏は「斎藤」、大工の頭領の役職に就いた藤原氏は「工藤」、天皇の護衛にあたる内舎人の藤原氏は「内藤」と名乗った。
名字と苗字の違い
日本人の"みょうじ"は"名字"とも"苗字"とも書き、姓(せい)や氏(うじ)とも言います。 全て英語でいうファイミリーネームのことですが、日本ではなぜファミリーネームの呼び方がこんなにも多いのでしょうか? それでは順に一つずつ見ていきましょう名字とは
現在最も多く使われているのがこの"名字"でしょう。その理由は"苗字"よりも字が簡単で、姓や氏よりも発音しやすいというのがその主な理由でしょう。
日本では古来姓によって一族を表していました。しかし一族の繁栄とともに姓だけでは誰の事だか区別が難しくなりました。
そのため住んでいる地名や職業などにちなんだ通り名を付けるようになっていきます。
これが名字です。
例として分かりやすいのが藤原姓です。藤原姓は平安時代非常に繁栄したため、住んでいる地域によって"伊藤""加藤""後藤""安藤"、職業や官職などより"内藤""工藤""武藤"など様々な通り名で呼ばれるようになりました。(詳しくは藤のつく苗字はなぜ多い?)
苗字とは
"苗字"の苗は稲作における"なえ"として使われます。日本の文化は古来稲作で成り立っており非常に深く根付いているものです。 また一方で"子孫""末裔"といった意味もあり、転じて"苗字"とは所属している家や一族というニュアンスになります。 江戸時代ではこうした文字の意味から、家が代々続くようにという思いを込めて、"苗"の字が当てられたとも考えられています。
姓や氏は
"姓"もやはり、"家を表す名前"といった意味合いの言葉です。 読み方は"せい"ですが、もともとは"かばね"と読まれていました。 (詳しくは日本人の名字の構造)