崎浜さんの掲示板

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大河ドラマでどうする家康が始まりました。初回は桶狭間(1560年)でしたが、2世秀延30代のころです。 2世秀延の妻は薩摩出身の荒木玄周の娘です。
(2023/01/14 14:15:41:名無し)


(2023/01/06 06:06:09:名無し)

高校バスケの崎濱君もガッパイですねー 遺伝ですかねー
(2022/12/31 21:33:54:名無し)

王府から宮古・八重山および久米島、沖縄本島地域の諸浦に派遣された役人に在番という役職がありますが、6世秀盈が1708年に八重山在番 7世秀筆が1726年に本部間切在番、1734年に粟国島在番、1737年に久米島仲里間切在番をつとめています。今も昔も転勤、出張みたい ものはあったんですねー
(2022/12/10 04:20:45:名無し)


(2022/11/26 14:48:15:名無し)

三世秀昌(1567-1623)は、使者桃庵和尚(天龍寺)、孟氏安谷屋親雲上宗の脇筆者(書記)として秀吉と謁見しています。謁見したさ いに秀吉は秀昌の大頭に驚き、秀昌のハチマチ(地位を示す冠)をかぶってみるとすっぽり入ってしまったことから後に、「大頭我那覇(ウウ チブルガナハ)」とあだ名されます。当時は我那覇姓を名乗っており、年齢は18歳のころの出来事です。地動説を唱えたガリレオ(1564-1642) はこの時代の人物です。
(2022/11/10 05:26:16:名無し)

惑星の食が皆既月食と同時に起きるのは442年(1580年)ぶりとのことです、本能寺の変(1582年)の2年前、その頃の牛氏関係では、 その後天下を収めた秀吉に三世秀昌が謁見(1585年)しています、その年は、二世秀延が那覇港を出帆行方になった年でもあります。
(2022/11/09 05:43:10:名無し)

ブラジル、アメリカ、ハワイにもいるかと思います
(2022/11/03 15:20:48:名無し)

ウチナーンチュ大会が開かれていますが。牛氏関係では、ボリビア、ペルー、香港に関係者がいます。昔、池宮城秀長氏がペルー日系人会長を 務めていました。
(2022/11/03 15:18:13:名無し)

昔の琉球士族は唐名(中国名)で、当時の中国と交易していたようです。
(2022/10/25 23:57:08:名無し)

中国は、習近平独裁まっしぐらといったところでしょうか?でも中国の名に昔の沖縄、琉球を感じるところではあります。 牛氏門中の初代の唐名は、牛起龍(日本名は秀実)でした。三代目は、日本名秀昌、唐名(現在の中国)は牛助春でした。 現代の中国に牛姓はいるのかなー まあー関係はないかと思いますが・・・
(2022/10/25 19:59:49:名無し)

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