崎浜さんの掲示板

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その当時、蔡氏と牛氏互いに関係が深かったのか、蔡国器の孫、蔡文薄の奥さんは牛氏出身です。蔡文薄は四本堂家礼を著した人物で当時著名な学者でした。
(2023/06/01 22:05:33:名無し)

蔡家の位牌が新収蔵品展(沖縄県立博物館)で展示されていました。牛氏から養子に行った、蔡国器(4代目秀統の3男)の名も確認することができました。
(2023/06/01 21:53:42:名無し)

大河ドラマでは、武田信玄が最後を迎えましたが、信玄の生まれは1521年、初代秀実が琉球に来琉した1年前(秀実43才)です。 信玄が亡くなった1573年は、2代目秀延46才、3代目秀昌6才の頃です。
(2023/06/01 21:45:35:名無し)

大河ドラマでは姉川の戦い(1570年)でしたが、牛氏門中では二世秀延43才、三世秀昌3才の時の出来事です。琉球王は五代尚元の時の出来事です。
(2023/04/23 19:00:26:名無し)

牛氏(崎濱家・池宮城家等)のルーツは薩摩にあるという説もあります。三代目秀昌が薩摩に琉球侵攻の先導をお願いされたこと、二代目 の秀延の妻が薩摩出身(荒木玄周の娘)であること、初代秀実が日秀と関係があるとすれば、日秀は琉球を去ったあと薩摩にわたっていること (現在も日秀神社がある)。8代目秀房の妻が卜氏出身(薩摩水軍の出身:嘉手川繫能の娘:真蒲戸)など薩摩との繫がりがかなりあります。
(2023/03/18 12:37:39:名無し)

1605年は秀昌が薩摩の島津氏から琉球侵攻の先導をお願いされ、断った年でもあります。
(2023/03/04 23:26:00:名無し)

南海トラフ関連のTVが放映されていましたが、過去の南海トラフとされる地震に生きていた人物は、慶長地震(1605年)の時は3世秀昌(38才)、 4世秀統(15才)、宝永地震(1707年)の時は、6世秀盈(61才)、7世秀筆(27才)、8世秀房(4才)となります。
(2023/03/04 23:23:16:名無し)

NHK沖縄で3月4日が三線の日ということで特集を組んでいました。牛氏関係者(故人)では、県指定無形文化財「沖縄伝統音楽野村流」保持者、 野村流伝統音楽協会会長(1988年)を務めた崎浜秀仁氏(本部町出身)、沖縄タイムス芸術選賞功労者、琉球古典音楽野村流保存会 北部支部長を務めた崎浜秀光氏(名護市出身)がいました。
(2023/03/02 19:09:38:名無し)

秀定の弟、秀政が本家(崎濱家)を継ぎます。もう一人の弟に蔡国器がいます。この人は蔡家に養子に行った人物で、清朝動乱期に 権謀術数を持って清朝との関係維持をはかった功労者とされる人物です。
(2023/02/25 11:53:58:名無し)

5世秀定の系統は、池宮城姓を名乗ります。
(2023/02/23 22:40:17:名無し)

大河ドラマで空誓(浄土真宗:三河一向一揆は1563年)という僧侶がでてきましたが、牛氏門中の初代秀実も日本人出身の僧侶(真言宗?) でした。還俗して琉球に住むようになります(1522年頃)。5世秀定(長男だが本家を継いでいない)の次男も 僧侶で盛海座主(真言宗)と呼ばれた護国寺の住職でした。当時の政争に巻き込まれ処刑されたようです。 耳切坊主(黒金座主)のモデルになった人物です。
(2023/02/21 06:11:16:名無し)

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