天皇家の名字

天皇家は戸籍を持たない

公家

建国神話に拠れば天照大神の直系とされ、源平藤橘の四姓にしても源平橘は天皇家の支流、藤原摂関家は天皇家の強固な外戚であり、 天皇家に近い家が名家とされるのは神代から明治・大正・昭和・平成に至るまで一貫した鉄則である。 従って古代から皇位継承の争いが多かったことは歴史が伝え、二朝分立時代も存在したのである。

皇室(天皇一族)が一般国民と大きく異なるのは、姓氏や苗字を持たないことである。 また皇族には戸籍が無く、皇統譜(大統譜および皇族譜)に記録される。

天皇家の成り立ち

豪族が天皇家から姓氏を下賜

豪族

神武天皇が大和に政権を樹立した当時は政権を支える他の豪族も姓氏を持たなかったが、垂仁天皇時代に武日命が大伴連を称し始め、公卿補任に拠れば仲哀天皇時代に子の大伴健持が大連の号を賜ったとの記載がある。

応神天皇時代以降の豪族は概ね氏族集団の識別として天皇家から下賜される姓氏が定着する。

天皇呼称の起源

古墳

天皇呼称の起源は唐の高宗皇帝が称したが、後にも先にも中国ではこの一例だけである。 我が国では大宝元年(701)完成の大宝律令に天皇諡の規定が設けられ、42代文武天皇が適用初代である。

文武天皇を除く神武天皇から44代元正天皇までの諡号は、淡海御船が勅を奉じて一斉撰進したと伝えられる。 当代の天皇の称号は今上であり、崩御後に漢風諡号が奉られるが明治以降は元号となっている。

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