全国分布検索 > 菊地姓都道府県世帯数
菊地姓の人口
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
全国の推定人口
データ無し
推定人口の順位
不明
友人にとはいかないまでも周囲にだれか一人はいるくらい多い苗字といえます。クラスに何人かいていつも下の名前で呼ばれるなんてことも。漢字も読みも同姓同名!?なんて人に会ったことがある人もいるのではないでしょうか。
※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[0~10前後]、[ほとんどいない]等と表現し、端数についてはも四捨五入させているため[全国の推定人口]と各都道府県の[人口]の合計は一致しません。
菊地姓 ランキング上位
- 東京都(約22,700人)
- 北海道(約21,900人)
- 宮城県(約20,900人)
- 神奈川県(約16,900人)
- 埼玉県(約13,600人)
菊地姓 県内比率ランキング上位
- 宮城県(約1人)
- 岩手県(約1人)
- 秋田県(約1人)
- 福島県(約1人)
- 栃木県(約1人)
菊地姓都道府県分布一覧
都道府県 | 人口 | 県内比率 |
---|---|---|
約21900 | 0.41% | |
約2200 | 0.17% | |
約10600 | 0.83% | |
約20900 | 0.90% | |
約6400 | 0.63% | |
約5200 | 0.46% | |
約11400 | 0.60% | |
約8700 | 0.30% | |
約10800 | 0.55% | |
約2000 | 0.10% | |
約13600 | 0.19% | |
約9400 | 0.15% |
都道府県 | 人口 | 県内比率 |
---|---|---|
約22700 | 0.17% | |
約16900 | 0.19% | |
約2200 | 0.10% | |
約270 | 0.03% | |
約210 | 0.02% | |
約110 | 0.01% | |
約350 | 0.04% | |
約760 | 0.04% | |
約280 | 0.01% | |
約3300 | 0.09% | |
約2500 | 0.03% | |
約320 | 0.02% |
都道府県 | 人口 | 県内比率 |
---|---|---|
約240 | 0.02% | |
約460 | 0.02% | |
約2600 | 0.03% | |
約1100 | 0.02% | |
約260 | 0.02% | |
約170 | 0.02% | |
約30 | 0.01% | |
約120 | 0.02% | |
約220 | 0.01% | |
約390 | 0.01% | |
約140 | 0.01% | |
約60 | 0.01% |
都道府県 | 人口 | 県内比率 |
---|---|---|
約180 | 0.02% | |
約1600 | 0.12% | |
約80 | 0.01% | |
約1200 | 0.02% | |
約50 | 0.01% | |
約110 | 0.01% | |
約180 | 0.01% | |
約240 | 0.02% | |
約540 | 0.05% | |
約170 | 0.01% | |
約90 | 0.01% |
菊地姓の地域分布
菊地姓の都道府県分布
菊地という名字は全国で99番目に多い苗字となっています。およそ千人に1人くらい居ます。東京都や北海道や宮城県や神奈川県や埼玉県や福島県にいらっしゃるようです。また県内の人口比率だと宮城県や岩手県や秋田県や福島県や栃木県や山形県に多くに多くいらっしゃるようです。地域としては関東地方に多い名前のようです。特に東京都のように大都市が最も多い場合一概に菊地さんの多くいる東京都が苗字のルーツや発祥の地とは言えませんが、2番目に多い北海道などには地名に菊地さんの名前がついているところがあるかもしれません。調べてみると苗字の意外なことがわかるかもしれませんね。や栃木県や岩手県に移り住まわれた方が多いようです。その後全国に広がっていったと思われます。
菊地さんの由来
- 元武士なので土に也海賊やったり山賊やったり山伏やったりして散ったんだべ
- 菊池は南北朝時代、南朝に味方し、御存知の通り南朝が負けましたので、九州に居られなくなり、太平洋コースや日本海コースなどで、東北地方や北海道など、北朝の追及の手の届かない遠くの地に逃げて行ったものと思われます。この時代南朝に味方した武士たちは概ね似たような経過を辿っています。農業などをしないと生きられませんから、必然的に農業をするようになります。その中から菊池から菊地に替える人たちが出て来たと思われます。九州から遠く離れると、名前を少し替えるのに抵抗がなくなるのかなと思います。現代でも全般的に見て、東日本は菊地が多く、九州に近い西日本は菊池が多いという統計データが見られます。
- 熊本の菊池です。我が家のルーツは茨城です。佐竹家の家臣で殿様が秋田にところがえされたおり、一緒についていき湯沢に移り住んだ記録があります。そして祖母が熊本より婿をもらい、熊本に来たようです。
- 菊地一族の者です。自分のルーツを探していた所、ほぼ確定できました。秋田県東成瀬村に記念館がある「菊地慶治」氏の本家は、奥州藤原家の生き残りで 、山奥へ逃げ、またぎをしながら生き延び、後に蝦夷と馬の交易を行っていました。子孫が移動したことから東北と北海道に菊地の姓が増えたようです。資料館に資料があり、本家には家系図があります。また、菊地家本家の家紋は天皇家の紋章でもある「丸に抱き菊の葉」で、明治4年以後、皇族でしか使用できないので間違いないと思われます。 ちなみに九州の「菊池」も九州の藤原家から変化していると、NHKの名前の番組でやっていました。 北の菊地、西の菊池、共に藤原一族由来かと推測しています。
- 私菊地は、秋田県の日本海側の北端出身です。町内に遠縁の菊地がかなり居て、伝承では小野さん、武田さん、門脇さん、後藤さんと一緒に逃げて来て定住したとのことです。一体何から逃げて来たか?は分かりません。さて、菊地の疑問は、①熊本菊池が先祖とすれば、何故関東や東北に移住したか?②なぜ?菊池➡菊地に変えなければならなかったのか?➂なぜ、北海道、東北、関東に拡散移住したか?の3点に尽きると思います。 これらの疑問は、何かよっぽど大きな事件や出来事がないと起こりえないことだと考えます。答えはひとつではないでしょうけど、主なる原因はあると思います。 まず①の主原因は、源頼朝の奥州藤原征伐に熊本から兵として動員されたこと。頼朝家臣である関東葛西氏に従軍して、東東北に定住したものでしょう。 ②は、菊池も世代を経るにつれ、武士を辞めて農業や漁業をする者が出現したこと。菊池さんに”池の菊池は武士の出。土の菊地は百姓の出”と伝承されているとからかわれたことがありますが、あながち嘘ではないと思います。彼は岩手県出身でした。有名武将を調べてもすべて池の菊池で、土の菊地はいません。従って、 武士の菊池と百姓の菊池を差別するための何らかの圧力が方々で起こったものだと考えています。 ➂の主たる原因は、初め岩手・宮城あたりの菊地がニシンを追って東北北海道各地に移ったと考えました。勿論それもあるでしょうが原因としては小規模です。 やはり2011年の東日本大震災。これ以上の規模の地震・津波が百年~3百年ごとに発生し、東北の太平洋沿岸各地は、その都度壊滅。大勢の人がここを離れて各地に移住し広がったものでしょう。私の祖先も恐らく津波被害からの避難民だったのです。因みに家紋は三つ柏。 これは、葛西氏や葛西氏の親戚江刺氏の系統です。 以上私菊地の考えです。
【名字由来教えてください】
菊地姓の由来やルーツ、一族の伝承や秘話等についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。
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