掲示板トップ > 外所姓の掲示板
投稿
「外所(または外処、外處)」は戦国末期に同音異字の「戸所」一族の領地に関わった人たちが名乗った姓である。「戸所」は戦国時代、上野国(群馬県)の榛名山南東麓に発祥した地侍の一族であり、 歴史資料では西上野の有力国衆・箕輪長野氏の長野業政家臣録「永禄元年正月廿九日改軍評定着到帳」(1558)に惣領家の2人の戸所の名が記されている。領地は高崎市上豊岡町西部の烏川右岸周辺にあったとみられ、この地には今も「外所(外処)」姓の家が多数残っている。 領主の「戸所」一族が長野氏の直属家臣団(旗本直臣衆)に組み込まれたのは戦国時代だが、それ以前は室町中期に上野国西部の片岡郡内にあった鎌倉円覚寺領の荘園・豊岡荘の経営を請け負う名主、または荘官だったと思われる。やがて上野国全土を巻き込む関東管領上杉氏と鎌倉公方足利氏との27年間に及ぶ下克上の内乱(享徳の乱、1454)が起こり、惣領家は武装化し、地侍(土豪)に転身。荘園請負地を私領化し、地形の特徴を取って「戸所」の名字を名乗った。「戸」とは「水流の出入りするところ」、「所」とは「領有する土地・地域」を意味する(広辞苑)。この地は群馬、長野県境の鼻曲山(標高1655㍍)に源を発する烏川と、両県境の碓氷峠(標高960㍍)が源の碓氷川との合流点の北西約3.5㌔にあり、明治初期の「上野国郡村誌」には「水利便ナレドモ毎歳水害ヲ免カレス」とある。この地形を名字にとることで、自領の領域を内外に明らかにしたのであろう。 戦国の混乱の中で戸所一族は領地を離れ、「外所(外処)」一族は耕作民としてそのまま土着した。江戸時代には幕府が「士農工商」の身分制度を徹底し、武士以外の「名字・帯刀」を禁じたが、「外所(外処)」は在所内の慣習的な呼び名、すなわち「隠れ名字」として残り、明治7年(1875)の「平民苗字必称義務令」で公的に復活した。したがって、「外所(外処)」はいわゆる明治新姓ではなく、戦国時代から受け継がれてきた姓である。
(2019/03/08 17:51:00:RAIJIN)

例)世界中の外所さん集合!!









1件目~1件目を表示しています。

外所さんの掲示板

全国の外所さんに関する掲示板です。外所さんに関するエピソードや外所さんの由来、「外所会」、「外所」サークルなどの存在や外所さん限定サービスなどのお得情報等、外所さんに関することを教えてください。
足跡&一言だけでもぜひお願いします!!
このページは自分のお仕事をPRしたり、ホームページのアドレスを載せてもOKです。 ただし無関係の広告や自分の名前ではないページでのPRは削除します。
※個人を特定できる投稿はしないでください。

この掲示板は 353名の人に閲覧されています。

人探しなら姉妹サイト「ことづて」をご利用ください


© 2013-. sijisuru.com All rights reserved.