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三世秀昌(1567-1623)は、使者桃庵和尚(天龍寺)、孟氏安谷屋親雲上宗の脇筆者(書記)として秀吉と謁見しています。謁見したさ いに秀吉は秀昌の大頭に驚き、秀昌のハチマチ(地位を示す冠)をかぶってみるとすっぽり入ってしまったことから後に、「大頭我那覇(ウウ チブルガナハ)」とあだ名されます。当時は我那覇姓を名乗っており、年齢は18歳のころの出来事です。地動説を唱えたガリレオ(1564-1642) はこの時代の人物です。 (2022/11/10 05:26:00:名無し) 惑星の食が皆既月食と同時に起きるのは442年(1580年)ぶりとのことです、本能寺の変(1582年)の2年前、その頃の牛氏関係では、 その後天下を収めた秀吉に三世秀昌が謁見(1585年)しています、その年は、二世秀延が那覇港を出帆行方になった年でもあります。 (2022/11/09 05:43:00:名無し) ブラジル、アメリカ、ハワイにもいるかと思います (2022/11/03 15:20:00:名無し) ウチナーンチュ大会が開かれていますが。牛氏関係では、ボリビア、ペルー、香港に関係者がいます。昔、池宮城秀長氏がペルー日系人会長を 務めていました。 (2022/11/03 15:18:00:名無し) 昔の琉球士族は唐名(中国名)で、当時の中国と交易していたようです。 (2022/10/25 23:57:00:名無し) 中国は、習近平独裁まっしぐらといったところでしょうか?でも中国の名に昔の沖縄、琉球を感じるところではあります。 牛氏門中の初代の唐名は、牛起龍(日本名は秀実)でした。三代目は、日本名秀昌、唐名(現在の中国)は牛助春でした。 現代の中国に牛姓はいるのかなー まあー関係はないかと思いますが・・・ (2022/10/25 19:59:00:名無し) 伊波普猷の座右の銘は、「汝の立つところ深く掘れ、そこに泉あり」らしいいので、沖縄の若い人が、沖縄に関心を持つことは嬉しいことです、 当たり前でもありますが‥‥ (2022/10/15 23:06:00:名無し) 書籍を出版された崎濱氏の祖父は名護市にお住まいで牛氏門中です。 (2022/10/14 06:28:00:名無し) 先日、法政大学出版局より伊波普猷の政治と哲学という書籍が出版された。著者は、同門中(牛氏)の女性研究家 のようです。伊波普猷と牛氏門中との関わりでは、崎濱秀主(沖縄県人初の師範学校教諭)が 友人関係であったことや、琉球法制史の研究家、崎濱秀明も教えを乞うたようです。同じ那覇 士族出身なので、琉球王朝時代から関わりがあったのかもしれません。ちなみに、伊波普猷は魚氏になります。 (2022/10/13 01:21:00:名無し) 伊波と秀主は友人関係にあったかとおもいます。 (2022/10/04 04:33:00:名無し) |
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