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数字がつく名字

概要

村がつく名前 二階堂三浦八木など数字がつく名字はたくさんあります。実はこの数字には共通のルーツを持つものがありました。今回は数字がつく名字についてご紹介します。

数字がつく珍名

五六

五六と書いて「ふのぼり」と読む名字。宮崎県にある非常に珍しい苗字です。 由来は将棋に関するものと言われておりますが、定かではありません。 将棋名人加藤一二三氏によると

将棋

①ふのぼりの「ふ」は将棋の駒である「歩」のこと

②「のぼる」は駒を前に進めること

③将棋の初手としてよく刺される中央の歩を一つ上げることを五六歩という(縦5マス目、横6マス目なので五六:イメージ参照)。

この中央を抑えると五六歩は将棋を有利に進めることができるといわれており、このことから五六歩を指すということは跳躍という意味があるのではないかとも考えられます。 そうした幸せを願ってつけられた名字が「五六」なのかもしれません。

名字に一番多く使われている数字

名字に使われている漢数字ランキング

例えば一は一田、一村、一原など「市」の字を使った名字は見たことがありますが、あまりみませんよね。 しかし「一」を「三」に変えると三田三村三原などよく聞く名字が出てきます。 このように「三」を使った名字が一番多く100種類を超えます。

二番目には多い漢数字を使った名字は「八」で38種類。八木八田八巻など。八木さんは結構いそうですが、その他もすごくメジャーってわけではないですが多少聞き覚えるのある人もいるのではないでしょうか。 続いてそれぞれ漢数字のつく名字について、それぞれの数字にはどんな意味があるのか例を挙げて詳しく見ていきましょう。

※ランキングは名字が多いランキング上位1000位までのうちの種類数

三の付く名字のルーツ

三浦半島

三の付く名字は三浦姓の由来を探るとわかりやすいです。

全国の三浦は神奈川県の三浦半島がルーツでほぼ間違いないといわれています。鍵を握るのは三浦半島。 三浦の字に注目すると「浦」は海や湖の入り江のこと。では「三」は何でしょうか?

実は平安時代末期に活躍した村岡為通という武士で、戦の功績として源氏から三浦半島の土地を与えられ、その土地の名前を名乗ったことが記録に残っています。 しかしもともとは数字の三という字ではなく、(三浦半島の海南神社に)江戸時代に寄進された灯篭には御浦と書いてみうらと呼ばれていたことがわかります。

昔はこの「御」という字は、神様のもの、天皇の持ち物であるという意味として用いられていました。そして三浦半島はもともと天皇の所有されていたものであり、 三浦市にも天皇に献上品を納めていたという記録が残っています。このことから御浦と呼ばれました。

それではなぜ御を三に変えたのかというと、神様とか天皇は恐れ多いため、話題にするのを憚って、三にしたと考えられるそうです。 また三はもともと縁起がいい数字なので最適だったわけですね。

このほかにも日本には「御」の地名がいくつかありますが、この多くが同様に遠慮して三に変えたため、三の付く名字が多いと考えられています。

例えば東京にもある三田という地名がありますが、この三田にある神社に御田神社というめいしょうの物があります。

八の付く名字のルーツ

八が縁起がいい数字。その理由は末広がりで縁起がいいとよく考えられています。 末広がりというのが縁起がいいとなったのは主に江戸時代ですが、古代では別の意味で八は良い数字とされました。 それは「日本」のことを「大八洲(おおやしま)」と言ったり、「神様」のことを「八百万神(やおよろずのかみ)」と言ったりしたことが縁起の良い由来となります。 加えて古代では八は「多い」とか「すべて」という意味を表し、繁栄は豊穣につながります。

こうしたことから名字に八を使ったことが考えられます。

簗

八を使った名字の一例として「八名」(やな)は愛知県の新城市にある八名井は昔「井」の字がなく、やなといわれたそうです。 簗(やな)は川の流れをせき止めて魚の通路をふさぎ捕獲する仕掛け、これをルーツにした地名ではないかと考えられます。 これを地名にする際に縁起のいい八の字を当てたのではないかといわれています。

このようになるべく縁起のいい数字が名字の当て字に使われやすいということが見えてきました。それではそのほかの数字はどうでしょう。

二階堂のルーツ

二階堂

二階堂は有名人にもおり、そこそこ聞く名字といえますがなぜ「二」しかないのか?三階堂や四階堂はあまり聞きませんよね。

その二階堂の発祥は鎌倉にあった永福寺という源頼朝が建てた寺(現在はない)になります。 その真ん中にある本堂が二階堂と呼ばれていた。

当時鎌倉は源頼朝が入るまでそれほどの建物がある土地ではなかったため、源頼朝が建てた壮大な建物が珍しく、二階堂様と呼ばれたそうです。 またこの土地に住み着いた武士も二階堂と名乗りました。 源頼朝はなぜ二階堂の寺を鎌倉に建てたのでしょうか?

それは中尊寺金色堂の裏にある建物が二階建てだったことにあります。当時は二階建ての建物というのは珍しかったそうで、源頼朝が奥州藤原と戦っていたころ、この建物をみてすごい建物があると衝撃を受けます。 この建物に影響を受けたことで、鎌倉に征夷大将軍となった1992年、自らの勢力を誇示するため二階建ての永福寺を建てたといわれています。 それまで京都が都だったが、鎌倉もすごいんだぞ!というのを示すために権威の象徴として2階建ての壮大な建物が必要だったのでした。

三日市、四日市

地名にもある四日市。こうした名前はその月に文字通り「市」がたった日を表したそうです。 四日市であれば四の付く日に市が立つといった具合です。 例えばひと月の間に三の付く日、3日、13日、23日に市場が立つ地域を三日市と読んだりします。

これが地名になり名字へと転用されたようです。

地方では今でもこうした風習は残っていますよね。

六角

六角堂

六角は戦国大名にもいる名字ですね。「角」を付けた数字苗字は「六」以外にもいくつかあります。 三角(みすみ)、九角九角(くすみ)などです。ところがいずれも「すみ」と読みます。 それではなぜ六角というのか見ていきましょう。

由来は京都にあります市街の中心部にある数1500年前に聖徳太子が建立したとされる、華道発祥の地としても有名な紫雲山頂法寺。 ここに六角形の御堂で六角堂という御堂ものがあります。六角形の御堂はこの寺にしかなかった。この前の通りを六角通りと呼ばれました。そしてこの通りに住んだ人たちが六角を名乗ったそうです。

そしてこの御堂がなぜ六角になったのかというと、 人間には六根から生じる六欲というものがあります。六根とは人間がもつ6つの感覚のことです。 眼、耳、鼻、口、体、心この6つの器官が正しく正しく機能しているかというと角がある、つまり不都合になることがあります。 その欲の角を取って丸く円満にしようという六根清浄の願いから建てられているということです。 よく深き人間のために作られて建物であり名字ですね。

その他数字を使った名字

珍しい苗字

富山県黒部市にある名字 四十物(あいもの) 四十物の由来は海産物に関係したお名前。生ものでもない、乾物物でもない海産物、一夜干しや魚の開きといったものを間い物(あいもの)が40種類以上扱っていたことから。 江戸時代の加賀藩の資料ではこうした間の物を数多く取り扱っていた記録があります。 冷蔵庫のなかったこの時代、 塩をすることで腐敗を遅らせることができ、そうすることで輸送距離が伸びてより生に近いものを食べることができた。 このように間の物は革新的な食べ物であり、加賀藩を豊かにした苗字のひとつです。

その他言葉遊び苗字

四十物にはもう一つ由来の説があります。 先ほどの通り四十物は生魚より保存がきく⇒いつでも食べられる⇒始終食べられる、この「始終」を転じて「四十」と書き四十物となったそうです。 とっても粋な言葉遊び苗字とも言えます。 このような言葉遊び苗字はほかにもあります。 七五三と書いて「しめ」しめ縄の締め、むかしのしめ縄は今と形が異なっていて、大きな幹となる一本の縄に7本、5本、3本と束ねた縄をつるしていた。このためしめ縄の事を七五三と書くようになった。 一尺八寸と書いて「かまつか」と読む。昔よく使われていたカマの手持ちの部分である、柄(つか)の長さが一尺八寸程度でした。このことから一尺八寸と書いて「かまつか」と読むようになったそうです。

余談ですが、名字ではないのですが江戸時代の言葉遊びで面白い話題があったので紹介します。 「十三里」は焼き芋の宣伝文句として使われていました。その理由が面白い。 十三里を分解すると

九里(くり)+四里(より)=十三里

栗よりおいしいという意味でした。粋な言葉遊びですよね。

※この記事はNHK放送の人名探求バラエティー 日本人のおなまえっ!を参考に追加取材して作成されています。

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