文子さん 人気推移
※11位となっているデータは11位以降の順位であることを表します。
文子がランクイン時期の世相と名前ランキングの変遷
大正1~3年(1912年~14年)の「正一」「正二」「正三」は元号と数字を組み合わせた名前。
戦前の貧しい時代まだ日本には医療環境が整っていなかったことなどの影響からか、女性には「千代」「久」「幸」など長寿を願う名前が目立つ。
戦前の代表的な名前と言えるのが“清く生きる”という当時の道徳観・人生観の表れからつけられたと思われる「清」。1915年(大正4年~昭和12年)から1937年の間通算14回首位。10位以内でみると統計開始以来実に約43年間もの長きにわたり人気の名前であった。
1916年(大正5年)では干支である辰の字が人気となった。
1921年には与謝野晶子らにより日本初の男女共学成立等女性教育が進んだ事もあり、1923年までの4間女性の名前には教育の代名詞であった文学の「文」の字が最も使われた。
1927年には「昭二」1928年には「昭三」は元号の昭和とその年数を組み合わせた名前が1位となった。
長く続く昭和の時代ですが、昭和の前半27年まで「和」の字を使った女の子の名前が実に1952年まで23回も一位に輝いています。
第2次世界大戦がはじまる昭和13年(1938年)から終戦までの時代。「勝」「勇」など戦時色が強くにじんだ名前がランキングのトップに連なる。「進」「勲」「功」「武」「勝利」などの名前もランキング上位に。国が一丸となって戦争に突入していった当時の切迫する世相がはっきりとうかがえる。ただ、こうした国民の願いは実らず、日本は敗戦の日を迎えた。
戦火が一段と激しくなる昭和13年(1938年)から終戦までの時代。「勝」「勇」など戦時色が強くにじんだ名前がランキングのトップに連なる。「進」「勲」「功」「武」「勝利」などの名前もランキング上位に。国が一丸となって戦争に突入していった当時の切迫する世相がはっきりとうかがえる。ただ、こうした国民の願いは実らず、日本は敗戦の日を迎えた。
女子人気の名前に「和子」の独占が続く中、皇紀(神武天皇即位の年を元年と定めた紀元)2600年を祝った昭和15年(1940年)には「紀」の字をつけた名が特出した。