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近鉄奈良駅の西、奈良市中心部を東西に走る国道369号線から“やすらぎの道”を100mほど南下した西側に「漢国神社」と言う神社が有ります。 社名は“カンゴウ”あるいは“カンコウ”と読むらしく、祭神は園神(ソノカミ)として 大物主命 (オオモノヌシノカミ)、韓神(カラカミ)として大己貴命・少彦名命( オオナムチ・スクナヒコナ ) が奉られています。 園神の“園”が“国”に、韓神の“韓”が“漢”に転じたともいわれます。 創建由緒略記によれば、 「推古天皇の元年(592)2月3日、大神君白堤(オオミワノキミ シラツツミ)と申す方が、勅を賜いて春日率川・坂岡の両所を奉遷し、園神(ソノカミ)の神霊をお祀りせられ、その後元正天皇・養老元年(717)11月28日、藤原不比等公が更に韓神(カラカミ)の二座を相殿として祀られた。 古くは春日率川坂岡社(かすがいさかわさかおかしゃ)と称した」 とあります。  ただ、春日率川坂岡社のうち、春日神社は今は春日大社として存在し、率川神社も300メートル程の近くに有ります。 しかし坂岡神社は見当たりません。 色々調べると、2キロ程北の奈良市法蓮佐保田町に狭岡神社がという社が有り、本来「狭加岡神社」(サカオカ)の名で神名帳に搭載されていたが、狭加岡の“加”が抜けて狭岡神社(坂岡)となったといわれおり、これが坂岡神社と思われます。ただ、この神社の祭神は若山咋之神他8座(穀物や五穀豊穣の神)で、 漢国神社との関係はみえません。 また、 その由来とは別に、この付近には地名の起因となった開化天皇の皇女、狭保比売(さほひめ・第11代垂仁天皇の皇后)の住んでいた土地との伝説もあります。その狭保比売は、古事記には佐波遅比売、沙本毘売、日本書紀では狭穂姫と表されていて、これが万葉仮名になった時に狭穂姫となり、現在の『佐保の丘』という語から「ホ」が欠落し『サオカ』となったとも云われています。
(2018/05/16 21:21:00:チャッキー)

足あと(2016/11/28 13:48:00:名無し)

例)世界中の坂岡さん集合!!








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