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ここでは、詳しく書けないので looewanan@gmail.com.
(2024/03/17 16:23:00:名無し)
4代目秀統の三男は久米村の蔡家へ養子にいきます。蔡国器(高良親方上珍)を名乗ります。蔡国器の息子が蔡応瑞(高良親雲上献臣) で風水師です。応瑞の息子が蔡文薄(祝嶺親方天章)で四本堂家礼を著した人物です。
(2024/03/17 12:06:00:名無し)
崎濱姓を名乗るのは本部間切崎濱地頭職に転任した6代目秀盈からでした。名前は領地の配置換え等で変わっていきます。 兄弟、親子でも苗字は違うことはありました。同じ苗字でも、氏名が違えば違う門中になります。崎濱秀〇であれば牛氏系統 崎濱盛〇であれば、毛氏系統といった感じです。池宮城姓は4代目秀統の長男秀定から繫がる系統です。牛氏の本家は秀統の次男 秀政が継ぎます。現在の崎濱姓(秀〇)の方々はほぼこの方に繫がることは間違いないかと思います。さらに細かい系図では、 秀休家の系図を見たことがあります。各分家の系図が17世まで記載されています。秀休とは前述の秀盈、七代目秀筆、八代目秀房 の次男です。九代目は長男の秀綿が継ぎます。ちなみに私は、秀休(9世)の次男秀孟(10世)の次男秀挙(11世)の次男秀稟 (12世)の系統です。17世になります。
(2024/03/16 14:13:00:名無し)
三代目秀昌の頃は我那覇姓を名乗っていました。池宮城姓を名乗るのは四代目秀統からで、崎濱姓(崎浜)を名乗る のは七代目秀筆からです。紋章についてですが、推測ですが牛氏(崎濱家、池宮城家が属する門中の家名(唐名)) なので、牛の字をデザイン化したのではないかと思ってます。図書館で15代目までの系図を確認されたとのことですが、 比嘉朝進著の士族門中家譜にも15代秀平までの系図が記載されています。
(2024/03/16 09:36:00:名無し)
紙ハブと呼ばれた男を読んだ池宮城秀意について書かれた森口轄著です。三代目秀昌が秀吉に会ったことなど 門中のことについても書かれていた。年表を見てみると昭和38年(1963年5月)に琉球新報社長に就任とある。 同門中の崎濱秀英も同年に琉球銀行の総裁に就任しています。二人とも二中(現在の那覇高)卒で池宮城氏が二つ年長です。
(2024/03/12 06:23:00:名無し)

足あと(2024/01/18 21:15:00:名無し)

薩摩や壱岐に卜部氏という名字があるんですね。卜氏家譜には、祖先が壱岐助重員とあるようなので関係はあるのかもしれません。 歌氏というのは唐名で、知念積高の唐名は歌啓業です。歌が姓で啓業が名前です。王朝時代の士族は中国(当時の明、清) との交流上、唐名(中国名)をもっていました。知念積高の三線の型は、現在の安冨祖流に伝わるとのことです。
(2024/01/18 04:57:00:名無し)
卜氏が占いと関係はあったか不明ですが、おそらく関係はないかと思われます。ただ、王朝時代に歌三線(楽師)がうまかった ことで歌氏という氏を受けた例はあるようです(知念積高1761から1828)。ただ、そのような例は少ないかと思います。
(2024/01/17 06:26:00:名無し)
過去に書かれていた、ト氏というのは、かなり昔にやっていた卜占と関係ある方々なんでしょうか?
(2024/01/16 20:48:00:みゃおみゃお)
やっぱり難しい世の中です。 
(2024/01/14 03:18:00:名無し)
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