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三世秀賀は前回紹介した秀主(県初の師範学校教諭)の五代前の先祖にあたる人物で、系図から見ると、秀能は大叔父にあたるようです。 (2021/06/12 11:54:00:名無し) 家譜を見る限り同名の人物は一名しかおらず・・・の間違いでした。 (2021/06/07 21:22:00:名無し) 家譜を見る限り同名の人物はおらず、1850年代を生きた人物からすると、同一人物の可能性が高いです。 (2021/06/07 20:00:00:名無し) 秀能は、直系10世秀綿の三男秀賀の孫にあたる人物のようです。秀賀の次男秀清の長男。 (2021/06/06 20:32:00:名無し) 1850年ころ殉教したようであるが、家譜をみると、1857年に瓦奉行所掌とある。同一人物であるか疑問であるが調べてみたい。 (2021/06/06 20:27:00:名無し) 僧侶の先祖を持ちながら、キリスト教信者になるところは興味を覚えます。 (2021/06/06 20:22:00:名無し) 幕末にベッテルハイムに師事した崎浜秀能について調べています。 (2021/06/06 20:15:00:名無し) 琉球侵攻後の秀昌ですが、大和通事(通訳)、豊見城間切の我那覇地頭職、薩摩に年貢を納める役割の仕上世職を任職します。 (2021/05/26 22:04:00:名無し) 三代目秀昌についてですが、才府として福州からの帰り暴風に会い平戸に漂着、そこの国主(寺沢氏)に面会、その後、薩摩に送られ薩摩国主(島津氏)に面会、その時に琉球侵攻の先導役をお願いされましたが拒絶しました。薩摩が琉球に侵攻(1609年)する前の1605年の出来事です。 (2021/05/26 21:59:00:名無し) 才府を務めた者には、地頭職が与えられたことが影響しているようです。 (2021/05/26 21:41:00:名無し) |
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