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現代で本土、南米系列も本部(北部やんばる)出身の方が多いです。やっぱり当時仕事がない関係で移民使途と思われます。
(2021/02/01 21:24:00:名無し)
さらに言えることは、秀政の系統でも本部に屋取(王府時代仕事がないので田舎落ち)した次男、三男系統の子孫の広がりが多いのは興味を覚えます。貧乏子だくさんと言ったところかもしれません。
(2021/02/01 21:20:00:名無し)
地道に生きたほうが子孫は広がるということを示しているかもしれません。秀政の系統は那覇士族の中堅士族で地味に役職をこなしていたのかもしれません。
(2021/02/01 21:13:00:名無し)
ちなみに秀統の子供の中で一番子孫の広がりを見ているのは、次男秀政(本家)の系統です。
(2021/02/01 21:09:00:さきはま)
4世秀統の三男蔡国器の系列は、琉球王府の中枢で活躍した人物が多く、息子の蔡応瑞(風水師、程順則との共著もある)、孫の蔡文博(中国国子監に留学)、孫の蔡文河(仲井眞知事の先祖)を輩出しています。
(2021/02/01 21:03:00:さきはま)
謁見した1585年は豊臣秀吉が太閤になった年です。
(2021/01/31 20:30:00:はまさき)
来週の麒麟がくるは来週ですが、本能寺の変(1582年)の時は、2世秀延50代,3世秀昌10代、秀昌が豊臣秀吉に謁見する3年前のことです。
(2021/01/31 20:21:00:はまさき)
来年は初代秀実が琉球にきて500年目になります(1522年来琉)。地球46億年の歴史を1年で表してみると、ほんの数秒(約4秒)前の出来事です。
(2021/01/31 08:21:00:はまさき)
牛氏(崎浜家)の本家は、秀統の次男秀政が継ぎました。長男秀定は、池宮城家となります。
(2021/01/30 05:25:00:サキハマ)
4世秀統の三男には蔡国器という人物がいて、久米村の蔡家(本家ではない)に養子にでた人物ですが、当時動乱の続く中国へ渡り、清国との関係維持に成功した功労者とされています。
(2021/01/30 05:23:00:サキハマ)
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