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蔡国器(本家四代目池宮城秀統の三男)の系統には、官生に派遣された人物が三人います。孫の蔡文薄(蔡応瑞の長男)、 曾孫の蔡宏訓(蔡応瑞の二男蔡文漢の二男)、玄孫の蔡世昌(蔡応瑞の五男蔡文海の孫)です。 (2024/05/06 18:44:00:名無し) (2024/05/06 18:03:00:名無し) (2024/05/06 08:58:00:名無し) (2024/05/04 22:06:00:名無し) 秀昌が秀吉に会ったことは琉球史では聞くところですが、秀昌の孫、蔡国器は清の三代皇帝順治帝にもしかしてあったことがある ようです。琉球王、中国の皇帝(当時は清)、日本の天下人(秀吉)に会ったことのある家系も歴史上面白いですね。 現代では簡単に会うこともできますが・・・ (2024/05/04 22:00:00:名無し) N氏の政治家としての評価は同じ一族の蔡世昌に似ているところがあります。蔡世昌は当時はの官生騒動に係った人物で当時大批判を 受けたようです。政治家としては大英断であったわけですが・・・結果として、現歴史家の評価は高いです。 N知事も現社会ではあまり人気はありませんが、信念のある政治家として後世の歴史家に評価される時がくるように思います。 (2024/05/04 21:45:00:名無し) 元沖縄県知事のN氏は蔡文河の子孫です。 (2024/05/04 18:35:00:名無し) 蔡文海家の家譜を那覇市歴史博物館に見てきました。蔡文海が蔡応瑞の子であること、二代目(十二世)が蔡光祖、三代目(十三世) が蔡世昌であることが確認できました。また、自分が所有している蔡文河家の家譜によると、二代目の蔡光祖は蔡文河の二男で蔡文海家 へ養子に入っていることがわかりました。 (2024/05/03 17:29:00:名無し) 蔡世昌は、蔡文海の孫ではなく、蔡文河(蔡文海の兄で蔡応瑞の四男)の孫のようです。もしくは、蔡文河の子が蔡文海へ養子へ 行き、蔡世昌に続くようです。寄贈された資料で確認できるかもです。 (2024/05/03 04:27:00:名無し) 本日付け沖縄タイムスで印章と古文書一対初確認の記事あり、蔡文海の事にも触れていたのでおそらく蔡応瑞の子であることには 間違いないかと思われます。面白いことに、同じ日の沖縄タイムスの記事に富盛の石彫大獅子の記事もありましたが、蔡文海の父 蔡応瑞の進言によって作成されたものとされているシーサーです。 (2024/05/02 22:09:00:名無し) |
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