稲里 姓の由来

稲里 由来

稲里姓に関する由来・ルーツのページです。"稲里"がつく地名、同姓の多い地域、使われている字の意味、成り立ちや出自といった様々な観点でルーツを検証しています。またユーザ様よりよせられたこの苗字の由来、逸話等を掲載しております。掲載されていないルーツや逸話をご存知の方は教えていただけると助かります。

稲里姓の名字の由来と起源に関する投稿

広島県の島根の境に近い稲里について、広島の10人位の稲里は全てうちの親族です。少し車で行くと比婆山には天照が隠れたとされる黄泉の岩戸なる巨石が有る地域。 最近、祖父の出自について気になっています。 この地域は鮫の事をワニと呼び食します。 祖父はワニ屋を営んでいました。 なぜ?鮫をワニと呼ぶのでしょうか? 和邇氏と関係が有るのでしょうか? 和邇氏は琵琶湖近くに古代の墓が有るそう→大阪にも稲里さんが多い。 又、稲里は沖縄の琉球王国以前の北山地域や奄美大島の歴史に名前が出て来ます。 又、祖父の父は鍛冶屋をしていた聞いたことが有ります。 ちなみに祖父の親戚は皆身長が高く、色白く、鼻も高いです。 以下は和邇氏についてヤフーで検索した内容 → 2世紀頃、日本海側から畿内に進出した太陽信仰を持つ鍛冶集団とする説がある[1]。 本拠地は大和国添上郡和邇(現天理市和爾町・櫟本町付近)、また添下郡。6世紀頃に春日山山麓に移住し、春日和珥臣となったとされていたが、近年では一部はそのまま和邇の地に留まって和邇部や小野一派、柿本一派、高市一派を構成したとされる。和邇一族見解ではあるが、聖地である和邇赤坂の上(現在でも和邇赤坂毘古神社の元社とされ、地元民地元にゆかりのある民だけが秋祭りに神輿と共にその場所へ参る)事から、和邇一族は一度として和邇の地から離れられない。なお、ヤマト豪族としてのこの一族の本業は、赤土の文字からも連想されるように、朱色つまり朱の生産であったとされている。この朱を採掘し尽くした事が一族の移住に繋がった。
4/14/18, 12:00 AM
その由来を知りたくて検索してみました。 京都には居ないと有りますがその稲里❪いなざと❫です。 徳之島に大勢いますが由来までまだ知ることが出来ていません。
2/24/18, 12:00 AM

文字の意味から由来を探る

‘稲’の由来

種類:会意兼形声文字
意味:いね。
由来:稻の右側の字(音ヨウ・トウ)はうすの中でこねること。稻はそれを音符とし、禾(いね)を加えた字。

‘里’の由来

種類:会意文字
意味:村里の里。田と土を上下に合わせた字。「田」は「人が耕した土地」を、「土」はもとは「社(やしろ)=神を祭る場所」を指していた。神を祭った土地に人々が集まったことから現在の意味に。さと。 距離の単位。
由来:「田(四角く区切りをつけた井田)+土」で、区切りの筋を入れて整理された畑や居住地のこと。俚(いなか)は、その派生語。

住んでいる地域から由来を探る

本サイトのデータでは稲里姓の方は全国に殆どいらっしゃらないようす。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は大阪府のようです。その後鹿児島県、広島県にいらっしゃる方が多くなっているようです。稲里姓の方は3位までの都道府県における地名には見られないことから、地名が由来というわけではないと思われます。
順位 都道府県 世帯数
1位大阪府約80人
2位鹿児島県約20人
3位広島県0~10前後
4位兵庫県0~10前後
5位沖縄県0~10前後
6位埼玉県0~10前後

稲里姓の成り立ち

地名地形職業事物拝領明治派生外来

稲里姓の出自

武家公家庶民職人神主

稲里姓の起源

アイヌ蝦夷琉球台湾中国朝鮮その他

氏神の由来を探す

苗字にはその地域で称えられていたものに由来するケースもあります。ここでは"稲里"の名がつく神社を紹介しています。
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