間宵 姓の由来

間宵 由来

間宵姓に関する由来・ルーツのページです。"間宵"がつく地名、同姓の多い地域、使われている字の意味、成り立ちや出自といった様々な観点でルーツを検証しています。またユーザ様よりよせられたこの名字のルーツや逸話等を掲載しております。掲載されていないルーツや逸話をご存知の方は教えていただけると助かります。

間宵姓の名字の由来と起源に関する投稿

実家に伝わる言い伝えがある。 先祖は凡そ940年前に八幡太郎源義家公に仕えた武士である。尚、後に鎌倉幕府を開く源頼朝は義家の玄孫にあたる。 永保3年1083年、奥州後三年の役が勃発。陸奥守兼鎮守府将軍に任じられた義家は、鎮定のため郎党を率い奥州へ下る途次、現在の栃木県茂木町河井の地に在陣する。現在の河井八幡宮に八幡神を勧請し戦勝祈願を行う。そのさなか同行していた長寿姫という女が病に倒れ亡くなってしまう。悲しんだ義家は女を弔うため現在の長寿寺を建立、郎党の内田・間宵・服部の3氏を供養のためこの地に残し土着したのだと言う。 3氏が住み着いた場所こそ実家のある集落である。地名は義明(ぎみょう)と呼ばれ、3氏のひとり内田義明という名を由来としている。ぎみょうは那珂川の河岸段丘上にあり、堅く守られた砦のような立地を形成している。確かに集落内には平城・塔屋・表など城郭を連想するような呼び名も残されている。 数十年前までは家系図も残されていたが、親類が持ち出し、以降は行方不明になってしまっている為、出自などがまったく不明である。 調べてみても、河内源氏の義家だが、大阪にも全国で歴任した国守地にも間宵と結びつく地名などは存在していない。義家は下野守(栃木県)にも就任し、更に関東各地に土地を領してもいたが、同様に名前の由来となるような地名が見当たらない。 全国各地の八幡神社に義家伝説が多数伝えられているように、また間宵という姓が茂木町河井の地に最も多く在所していることを考えると、京の都から義家に帯同してきたという伝承とは異なり、元々この地の土豪だったのかも知れない。 千年前のロマンに想像は膨らむばかりだ・・・。
1/23/20, 12:00 AM

文字の意味から由来を探る

‘間’の由来

種類:会意文字
意味:あいだ。 ま。へだてる。うかがう。長さの単位。
由来:間は俗字で、本来は「門+月」と書く。門のとびらのすきまから月の見えることをあらわすもので、二つにわけるの意を含む。間の本来の意味のほか、「閑」の意にも用いられる。

‘宵’の由来

種類:会意兼形声文字
意味:よい。日の入り後。
由来:小は、―印を両側から削って小さくするさま。肖は、それに肉をそえた字で、素材の肉を削って小さくし、肖像をつくること。宵は「宀(いえ)+音符肖ショウ」で、家の中にさしこんでいる日光が小さく細くなったとき。

地名から由来を探る

地名ルーツの名字は多いため地名に名字が含まれるものを見てみましょう。「間宵」を含む地名を都道府県ごとに表示しています。

※発祥の地や何らかの関わりがあることを保障するものではありません。もし記載の地名と発祥の関係をご存知の方は是非教えてください

住んでいる地域から由来を探る

本サイトのデータでは間宵姓の方は全国に殆どいらっしゃらないようす。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は栃木県のようです。その後東京都、新潟県にいらっしゃる方が多くなっているようです。間宵姓の方は3位までの都道府県における地名には見られないことから、地名が由来というわけではないと思われます。
順位 都道府県 世帯数
1位栃木県約100人
2位東京都約40人
3位新潟県0~10前後
4位茨城県0~10前後
5位福島県0~10前後
6位千葉県0~10前後

間宵姓の成り立ち

地名地形職業事物拝領明治派生外来

間宵姓の出自

武家公家庶民職人神主

間宵姓の起源

アイヌ蝦夷琉球台湾中国朝鮮その他

氏神の由来を探す

苗字にはその地域で称えられていたものに由来するケースもあります。ここでは"間宵"の名がつく神社を紹介しています。
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