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1585年は、3代目秀昌が豊臣秀吉に朝見した年でもあります。の間違いでした。
(2021/08/30 21:10:00:名無し)
当時の琉球は交易で成り立っていた国で、中国へ渡るにも命がけでした。2代目秀延は、1585年那覇港を出帆して暴風雨に会い行方不明になっています。1585年は、3代目秀昌が豊臣秀でもあります。でもあります。
(2021/08/30 21:08:00:名無し)
秀実の記事は、球陽巻三(球陽読み下し編のP161)に記載されていますが、球陽巻三には、日秀上人(初代と同一人物説、関係者説がある)の記事もいくつか記載されています。
(2021/08/30 20:45:00:名無し)
沢岻親方盛里は、護佐丸の孫にあたる人物です。
(2021/08/30 20:02:00:名無し)
秀実は日本僧で中国に渡る志を抱いて来琉、後に毛氏の沢岻親方盛里と中国に渡り、帰国後、日本に帰りたいと申し出たが尚真王に留められたとのことです。日本人の思戸を妻に娶ります。
(2021/08/30 20:00:00:名無し)
初代秀実(唐名:牛起龍)は1522年に来琉したとされているので、来年は500年目に当たる年です。秀実は40代であったようです。
(2021/08/30 01:05:00:名無し)
牛氏本家の家譜を見ると、3世~5世にかけて琉球史に残る(琉球の史書、球陽に記載される)人物が輩出されているような気がします。ただ面白いのは、本家を継いだ5世秀政(家譜の中では記載の少ない人物)は4世秀統の次男ではありましたが、現代においては、この系統が門中の中で一番の広がりをみています。
(2021/08/27 22:41:00:さきはま)
蔡国器系は、子の蔡応瑞(風水師)、玄孫の蔡世昌(国学の建議、官生騒動で久米村人から迫害にあう)がいますが、政治的には、大和の僧(牛氏の元祖)、琉球人、中国(久米村の育ち)の血が混ざり小さな縄張り意識がなかったのかもしれません。
(2021/08/27 21:56:00:名無し)
蔡温と同世代11世に蔡国器系統では蔡文薄がいます。…が抜けていました。
(2021/08/27 20:15:00:名無し)
蔡温と蔡国器系統では孫の蔡文薄(文人、四本堂家礼著者)がいます。その弟に蔡文河がいますが、元知事の仲井真氏の先祖となります。
(2021/08/27 20:12:00:名無し)
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