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島津姓の有名人

島津 有名人

島津姓の有名人で2番目に多い職業はタレント、続いて役者、俳優、俳優、司会・MCとなっています。では一番多い職業は何だと思いますか?

このページでは芸能人やスポーツ選手といった様々な分野で活躍する島津姓有名人、または戦国武将など歴史上活躍した島津姓の偉人をご紹介します。

島津姓 有名人職業ランキング

【上位10位までの職業】

人気1位 女優:28.6%
人気2位 タレント:28.6%
人気3位 役者、俳優:14.3%
人気4位 俳優:14.3%
人気5位 司会・MC:14.3%

島津姓の有名人一覧

本サイトの調査では島津姓で最も多い有名人・著名人は女優をされている方、2番目に多い職業はタレント、続いて役者、俳優、俳優、司会・MCとなっています。

しまづ けんたろう

役者、俳優
1969年6月11日 生

しまず えりか

女優/タレント

しまず えいすけ

タレント/俳優

しまづ みき

司会・MC

しまづ もゆ

女優

島津さんと同じ苗字の武将

しまづとよひさ

【生没:1570~1600】
貴久四男家久の子で初名は忠豊、通称は又七郎、中務大輔を称す。永吉島津氏二代当主で日向佐土原領主。秀吉の小田原攻めや朝鮮の役で活躍したが、関ヶ原での退却時に阿多盛淳とともに伯父義弘の身代わりになり、敵の刃を一身に受けて壮絶な討死。しかしこの奮戦のお陰で義弘は無事薩摩に帰り着くことが出来た。

しまづよしひさ

【生没:1533~1611】
貴久の子で島津家第十六代当主。通称又三郎、修理大夫のち出家し龍伯と称す。冷静で状況判断力に優れ、元亀三年に日向伊東氏を攻略し薩摩・大隅・日向の三州を統一。次いで肥後の相良氏も降し九州全土を席巻する勢いだったが、秀吉の大軍の前には家の存続を優先、反対する家中を押し切って降伏。関ヶ原の際には優れた外交力を発揮、特例とも言える所領安堵を得た。

しまづいえひさ

【生没:1547~1587】
貴久の四男で義久・義弘の弟。通称又七郎、中務大輔を称す。串木野のち日向佐土原領主。猛将の名に恥じない活躍をした永吉島津氏の祖。有馬氏に加勢し、沖田畷の戦いで猛将・龍造寺隆信を討ち取る。秀吉の九州攻めの際に奮戦したが、ついには豊臣秀長に降伏。しかしその直後に亡くなったため、毒殺されたとの噂が広まった。

しまづとしひさ

【生没:1537~1592】
貴久の三男で義久・義弘の弟。通称又六郎、左衛門督を称す。後の日置島津氏の祖で薩摩祁答院領主、吉田地頭。永禄六年の横川攻め以来数々の戦いで軍功をあげる。秀吉の九州攻めの際に病と称して対面せず、加えて朝鮮役の際に叛乱した梅北一党に家臣が加わっていたことが秀吉の怒りに触れ、義久勢に囲まれ重富(竜ヶ水)で自害した。

しまづただとき

【生没:1565~1593】
義虎の子で薩州島津氏第七代当主。名は忠永とも。通称は又太郎、薩摩守を称す。天正十一年、父義虎の代わりに隈本城を守備した。朝鮮の役にも義弘に従軍し渡海、釜山まで行くが病と称して動かなかったため秀吉の怒りに触れ、小西行長に捕らえられ所領を没収された。程なく現地で病歿と伝えられるが異説もある。

しまづただちか

【生没:1569~1587】
義虎の二男で歳久の養子となり、のちの日置島津氏第二代当主。通称は三郎次郎。天正十四年の筑紫広門攻めに従軍するが、翌十五年豊臣秀長の大軍と根白坂で戦い討死した。日置島津氏二代ではあるが、実際に日置領が与えられたのは文禄四年、子の常久に対してだという。

しまづひさやす

【生没:1573~1593】
義弘の二男で通称は又一郎。天正十五年、日向諸県郡を与えられる。同十七年父義弘とともに上洛して伏見で豊臣秀吉に拝謁、翌年の小田原攻め・奥州攻めに従軍した。朝鮮の役にも父とともに出陣するが、陣中で病を得て唐島で病没した。

しまづよしひろ

【生没:1535~1619】
義久の弟で島津家第十八代当主。初名は忠平のち義珍(よしたか)を経て義弘と改名。通称又四郎、兵庫頭を称す。戦国史上に名高い猛将で、文禄・慶長の役の際にはその無類の強さから「鬼石曼子」と呼ばれ怖れられた。関ヶ原の際にはわずか千五百の軍勢を率いて参陣、世に「島津の前退」と呼ばれるその敵中突破の凄まじさは今もなお語り継がれる。

しまづただなが

【生没:1551~1610】
相州島津氏尚久の子で通称又五郎、図書頭を称す。貴久の甥に当たり、義久・義弘の老中(家老)を務めた宮之城島津氏の祖。永禄十一年の大口攻めを皮切りに、肝付・伊東・大友氏との戦いに活躍、その功により分家出身では唯一人の国老となる。関ヶ原の後、義久の使者として家康のもとに赴いて弁明に務め、薩摩・大隅・日向を安堵された。

しまづてるひさ

【生没:1567~1594】
相州島津家以久の嫡子で、のちに垂水島津氏となる。本家当主義久の女婿で、通称又四郎のち守右衛門。天正十二年の島原合戦などで軍功をあげた。朝鮮の役の際にも義弘の子忠恒(後の家久)に従い渡海するが、文禄三年唐島にて病歿した。

しまづただとし

【生没:1508~1549】
新納氏庶流実久の二男久顕を祖とする島津氏の家系。忠誉の子で通称は三郎四郎、式部大輔を称す。天文八年、忠良に従い市来攻めに出陣して活躍、軍功をあげ恩賞として赤水郷を与えられた。子孫は後に薩摩鹿籠(かご)領主となる。

しまづともひさ

【生没:?~1593】
忠親の子で通称藤二郎、豊後守を称す。豊州家第六代。妻は島津義弘の女(御屋地さま)。大隅平房・市成領主のち日向馬関田(まんがた)地頭。天正六年には日向宮崎を領すが、自身は飯野城にあって耳川合戦に従軍し武功を挙げた。同十四年には鷹取城・筑前岩屋城攻めに従軍。文禄の役にも従い渡海したが、文禄二年九月、巨済島にて病没した。

しまづただまさ

【生没:1520~1561】
忠良の二男で貴久の弟、のちの垂水島津氏の祖。名は政久とも。通称又四郎、右馬頭を称す。天文十七年に大隅清水の本田薫親を攻略、以後清水領主となる。蒲生攻めにも活躍し、同二十三年の脇元の戦いでは鉄炮を使用した記録がある。永禄四年の大隅廻城攻めで戦死。

しまづなおひさ

【生没:1531~1562】
忠良の三男で相州島津氏を嗣ぐ。薩摩鹿籠(かご)領主。幼名兼安丸、通称は又五郎、左兵衛尉を称す。貴久の弟で義久・義弘の叔父。天文二十三年の岩剣城攻めでの活躍をはじめ、永禄二年の松山城救援戦などでも軍功をあげた。肝付氏との廻城合戦の後に病を得て、永禄五年三月一日に没した。

しまづただひろ

【生没:?~1551】
忠朝の子で豊州島津氏第四代当主。名は忠真とも。通称二郎三郎、豊後守を称す。天文十四年に家督を嗣ぐと同時に忠良・貴久父子に臣従を誓い、日向飫肥城主として忠良・貴久の前線となって伊東義祐と交戦し活躍したが、同十八年に家督を二男忠親に譲って日向福島へ隠居したという。

しまづただちか

【生没:1504~1571】
忠広の二男で豊州島津氏第五代当主。通称二郎左衛門、尾張守のち豊後守を称す。天文十八年に父より日向飫肥領を継ぎ、同二十一年貴久と盟書を交わす。のち飫肥に貴久の二男義弘を養子に迎えて肝付・伊東両氏と対峙するが、永禄十一年には父祖の地飫肥を離れ櫛間から荘内へと逃れた。

しまづゆきひさ

【生没:1550~1610】
忠将の子で佐土原島津氏の祖。通称は又四郎、右馬頭を称す。名は幸久・征久・行久などとも書く。天正元年に禰寝(ねじめ)氏救援に活躍したのをはじめ、同九年の水俣の戦いでも軍功をあげた。大隅清水領主のち慶長八年、日向佐土原三万石の藩主となる。

しまづよしとら

【生没:1536~1585】
実久の嫡子で薩州島津家第六代当主。通称又太郎・三郎太郎・八郎左衛門、薩摩守を称す。名は晴久・陽久・義利・義俊とも。薩摩出水領主。父実久が忠良・貴久と争う中で早くから忠良に従い、天文二十二年に家督を嗣ぐと肥後相良氏への前線となり羽月を守備、天正九年には先鋒となり相良氏を降す。島原合戦にも従軍、軍功をあげている。

しまづただなお

【生没:生没年不詳】
信濃長沼を本拠とした土豪で淡路守、のち月下斎を称す。天文二十二年、村上義清の葛尾城落城時に義清や近隣の土豪とともに越後の長尾景虎を頼る。川中島合戦の際には先陣で奮闘、そのまま謙信・景勝に従った。織田信長没後に旧領に戻り、再び長沼城主となった。

しまづたかひさ

【生没:1514~1571】
伊作島津家忠良の子で、通称又三郎、陸奥守を称す。号は伯囿。知勇兼備の四人の子に恵まれ、本拠地をそれまでの伊集院から内城に移し、家督を義久に譲るまでの間にキリスト教の布教の許可や琉球との貿易奨励など積極的な外交を展開、島津氏の軍事・経済基盤を強固なものにした。

しまづただよし

【生没:1492~1568】
伊作島津家善久の子で通称菊三郎、三郎左衛門、相模守を称し、のち愚谷軒日新斎と号す。守護の本家勝久や薩州家実久に競り勝ち、ついに子の貴久に本家を継がすことに成功。島津家中興の祖といわれる名君で、薩摩武人の教訓とも言うべき「いろは歌」の創作など軍政両面に際だった功績を残し、後には半ば神格化された。

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

【生没不明】

島津姓のアニメキャラ

島津から始まるアニメのキャラクター

しまづ さくや

cv:木戸衣吹
本作のヒロイン。浅野真一郎と同じ学校に在籍している島津家37代目仮当主。主な武器は弓。裏表が激しく、人前では清楚な立ち振る舞いをするが、裏では真一郎にきつく当たるなど、ワガママな性格。身長も低くスタイルも幼児体型のため、自分の体には非常にコンプレックスを持っている。

しまづ とよひさ

cv:中村悠一
本作の主人公。戦国時代の島津家の武将。作中では「戦国最強のサムライ」と称される。年齢30。官名は中務少輔。

しまづ ちか

cv:小島幸子
第1話に登場。逃亡犯に人質にされた犯罪被害者の女性。2086年5月16日生、血液型O型。大倉に暴行されたうえ、自身もサイコハザードを起こして潜在犯と化して執行・確保された。しかし、確保時前の朱の対応により一時はリーサル判定値まで上昇していた犯罪係数がその場でノンリーサル判定値まで持ち直し、さらに施設に収容されてセラピーを受けた結果、回復へ向かった稀有な例となった。

しまづ すせり

cv:M・A・O
島津37代目当主候補。朔邪の妹として育てられているが、実際は従姉妹。姉とは身長もスタイルも正反対であり、また冷静な性格をしている。姉の朔邪よりも早い歳で真名の儀を行い、一族にも彼女を支持している者が多い。鎌鼬を操り、またはゴン太と呼ばれる一匹の管狐を保有している。

しまづ みお

cv:冬馬由美 / 高天唯 / 釘宮理恵
境町学園の3年生。古代史の愛好家。父は境町の市長だが、令嬢と呼ばれることを嫌う。たくやに好意を寄せており告白もしたが、美月との性行為を目撃したことをきっかけに距離を取るようになる。スリーサイズ:84-60-85(cm)、5月8日生まれ。

しまづ なみ

cv:大谷育江
朔邪と須世璃の祖母。セーラー服を着た少女の姿をしているが、それは那巳の若い頃の姿を模して作られた人形である。本物の那巳は別の場所におり、その人形に精神を宿らせて操っている。この状態でも極めて強力な霊能者。ゲームが大好き。

しまづ さぎり

cv:伊倉一恵
須世璃の母。伽邪の妹。かつて伽邪と当主の座を争い敗れた。須世璃を当主にするために幼い頃から厳しくしつけ、朔邪のことは敵視している。そして一族と関係を持ってしまった真一郎にもいい感情を持っておらず、本家でそれを証明している。

cv:柳沢栄治 / 芳田正浩 / 蓮岳大
澪の父にして、境町の市長である名士。ジオ・テクニクスとの汚職が噂される。ショットガンの収集を趣味としている。アダルトアニメ版第4幕のラスト近く、澪とのエンディングを迎えたシーンで声のみの登場。「彼女」作中において龍蔵寺の記述のみで登場し、本名や容姿などはいっさい不明の女性。

しまづ ちか

cv:小島幸子
第1話に登場。逃亡犯に人質にされた犯罪被害者の女性。2086年5月16日生、血液型O型。大倉に暴行されたうえ、自身もサイコハザードを起こして潜在犯と化して執行・確保された。しかし、確保時前の朱の対応により一時はリーサル判定値まで上昇していた犯罪係数がその場でノンリーサル判定値まで持ち直し、さらに施設に収容されてセラピーを受けた結果、回復へ向かった稀有な例となった。

cv:皆川純子
男装執事喫茶に勤めている。

しまづ むつき

cv:齋藤彩夏
メカニック担当。おとなしい性格をしているが、一人で一晩でニーラーのブレーキ系の大改造を完了させる能力を持つ。

しまづ

cv:藤原貴弘
スピッツベルゲンのメンバー。一人称は「儂」。生身の人体に対拡張者戦用のスーツを着用し、十三を相手に圧倒的な戦闘力を見せる。功木に「針」を打たれて活性化された際に、実は女性だということが判明し、十三をうろたえさせた。帰還拡張者が起こした犯罪によって、愛した男性を亡くしている。
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