田谷さんの広島県分布
このページは田谷さんが広島県に何人くらいいるか市区町村毎のおおよその世帯数を表したものです。
田谷さんの分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
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※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[ほとんどいない]、[0~10人前後]等と表現させていただいております。各市区町村の合計と[広島県の推定人口]は一致しません。
広島県の推定人口 | 260人程度 | 広島県の推定順位 | 1571位 |
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田谷さんの由来
- 田谷は全国で6ヶ所で発生しています。多いのが水戸市田谷町(那珂郡田谷村)清和源氏佐竹流、藤原秀郷流那珂氏、石川流、常陸大掾流、の田谷、石見益田の藤原忠平九代後裔の田谷、相模愛甲郡の小野小町後裔の田谷です。・・・此れは姓氏辞典に載っています。 ・・・僕の家の田谷は常州那珂郡田谷村の田谷で、国井義正の孫と言われています。それが、霜月騒動、瓜連合戦で背走し、奥州に逃げ、南朝方結城親朝氏の庇護を受け、領内に定住し、現在に至っています。家紋は二重亀甲内剣花菱です。甕の原の合戦で戦功有り、三種の神器を表す軒花菱を義良親王(後の後村上天皇)より下賜されたと聞きます。でも、出雲大社神紋と同紋で常時は副紋使用の事と家定で成っています。 ・・・田谷は戦国期常時争奪され、那珂道泰の時佐竹に攻め入られ、多くは結城に逃げる、結城は徳川家康次男、秀康を養子とし、丹羽長秀の後領を引き継ぎ越前に転封し、それに従い、田谷さんも越前に移動し越前、福井、新発田、飛騨等に多い。・・・だから北陸に多い! 九州の臼杵に居る田谷さんは田谷山城の後裔で、佐竹に攻められた時に郡上八幡に行、稲葉の殿様に従い臼杵に下向とか? ・・・田谷○三さんは紀州吉宗に従い上京した旗本、紀の宿禰後裔と何かに乗っていたな?
- 田谷さんは平家国香流田谷(多谷)さんが、千葉の蘇我に本家が昔有り、其れが茨城の神栖等に多いです。是は群書類従に乗っています。)(多谷七郎。)・・・後は田家(田谷)淡路の守近江国高島郷の浅井庶氏流、永禄年間、田屋山城守吉頼男子明政が浅井の娘(鶴千代)の婿に成り、浅井を継ぐが、鶴千代の異母弟が浅井党首と成り、身を引く。・・・江戸旗本の三好氏は其の後裔と言う。(寛永系図部集)
【名字由来教えてください】
田谷の由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。田谷姓について由来や字の意味、他の読み方、画数、ローマ字表記、などいろいろな情報を掲載しています。