吉ケ別府さんの掲示板

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ちなみに別符の提議について書かれた本は武光誠氏による、地名の由来から知る日本の歴史です
(2020/04/26 21:22:15:名無し)

別符になった土地に住む人は、自分たちが別符で特権を得たことをしめすために別符の地名を用いることになる。別符の表記は別府に変化しやすい。とありました、このことで私たち吉ヶ別符の名字の由来を理解できたような気がします。長年気になっていたことが解明できたように思います、この別符のためにここまで記稿してきたような気がします
(2020/04/21 07:47:26:名無し)


(2020/04/21 07:35:45:名無し)

近くの図書館で武光誠歴史学者が著した本の一文に荘園の中の特殊な地域が別符と記されていました、荘園のなかで別符は国司の免符により特別扱いされている部分をさす、荘園全体にかかわる取り決めの他に別の符で異なる扱いを受けた土地が別符だということになる、
(2020/04/21 07:34:13:名無し)

100年に一度、です悪しからず
(2020/04/21 07:17:05:名無し)

吉ヶ別符家血筋をひく皆々様どうぞこの新型コロナによる100分に一度の苦難に十分気をつけて日々をおくってくださいませ
(2020/04/21 07:13:29:名無し)

このように父も叔父も飢えと激しい戦争でたくさんの人が戦死したなかで無事に復員することができました。しかし二人の息子を戦争にとられた祖母は二人の姿を見ることなくこの世を去って逝きました。二人の息子の勇姿を見ず去る祖母の心情は如何なものだったのでしょうか?今そのような祖母の気持ちを察しながら書き込んでいます
(2020/04/17 01:27:17:名無し)

父は昭和20年8月15日までチモール島にいたと記録されていました。8月15日より12月8日までプロレス島に在りてて大東亜戦役終戦業務に従事とありました。
(2020/04/17 01:16:26:名無し)

母も知らなかったと思う。父の軍人としての誇りがそうさせたのかしれません、
(2020/04/07 10:08:40:名無し)

軍歴で初めて父の戦地においての入院を知る、このことは
(2020/04/07 10:05:43:名無し)

私の父は昭和16年12月1日召集昭和17年8月7日熊本出発8月9日門司港出発10月6日台湾孝雄港到着10月17日高雄港出発10月30日昭南港到着昭和17年9月15日より11月8日まで警備並びに輸送業務従事昭和18年9月2日A型パラチフスにより入院10月10日治癒退院、この
(2020/04/07 10:03:34:名無し)

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