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神功皇后は第14代仲哀天皇の奥方ですが 実在性は低いと云われる。実在した最初の 天皇は第10代崇神天皇である。それ以前神武天皇からは欠史八代といわれている。 葛城氏など他の古代豪族の時代であった とも云われているが不明である。崇神天皇 は最近発掘されている纏向遺跡との関連が指摘されています。
(2024/11/16 15:39:00:三浦屋)
いわゆるヤマト王権の三韓征伐が西暦200年代前後にあったと云われる。正確な年月日は不明である。三韓とは馬韓(のちの百済)、弁韓(のちの任那と加羅)、辰韓(のちの新羅)であり高句麗は含まれない。
(2024/11/16 15:08:00:三浦屋)
福島の桜井古墳の被葬者は鹿我別命かがわけのみことで初代浮田国造である。毛野氏の遠祖であり下野国足利郡との関連が認められる。古事記では、神功皇后の代に朝鮮 半島に派遣されて軍功のあった人として 描かれている。
(2024/11/16 14:34:00:三浦屋)
島根と福島浜通りにそっくりの古墳があります。形態は前方後方墳、桜井古墳群 であり被葬者は皇族につながる有力者 とされています。初めてこの古墳を 見た時は何んとモダンな格好の古墳 なんだろうというのが第一印象でした。 浜通り、特に相馬地方は砂鉄の産地で あり大規模な官営鍛冶遺跡があって 島根地方との技術交流もありました。
(2024/11/03 14:02:00:三浦屋)
島根県三田地の鍛冶遺跡は、正式には[鍛冶屋谷炉跡]の名称であり、そこの地名が[三田地]となっています。桜江町教委が 1990年に実施しています。一連の調査によると結局いつの時代の遺跡なのかよく 解らないとなっていますが、遺跡なので 江戸時代或いはそれ以前のことと想像されます。もともと遺跡包含地として登録されていた地域と思われ単独の遺跡ではありません。
(2024/10/19 17:29:00:三浦屋)
一方、島根県桜江町川戸字三田地の事ですが、みたじと発音されています。西日本では[みたち]を[みたじ]と発音する傾向があります。起源としては三重県伊賀市三田の方が(ヤマト王権時代の屯倉、御田、三田 に起因している)古いように思われます。しからば、島根の地名三田地はなぜ、どのようにしていつ頃命名されたのか、よく わかりません。ただ新しい発見は、人家の少ない山あいの谷が鍛冶遺跡であり教委により発掘が行われているという事実です。 思いつくことは、島根には有名な石見銀山があり中国山地は有名な鉱脈地帯として 国内に名を馳せていた地域でした。 東北の北上山系もまた有数の砂鉄採掘地域であり、特に下閉伊郡は金山が多く砂金採りの言伝えや鍛冶屋伝説を持つ旧家が少なくありません。昔から三田地家には、先祖は京都の刀鍛冶であったという伝説があります(再掲)。
(2024/10/14 16:19:00:三浦屋)
小字地名三田地が古代官寺跡であり、遺跡名が三田廃寺となっています。廃寺跡は 宮城にも郡山廃寺(長町)や多賀城廃寺があります。これらは官衙の付属寺院です。こちらの地名は三田ではありません。三重県伊賀市の場合は古代ヤマト王権時代 の屯倉であり付属する御田、三田があって地名に変化していったものと思われます。のちに天皇の命によりそこに単独の官寺が造営されたという経緯です。壬申の乱のお りも皇軍の兵馬が盛んに往来した主街道沿いの地区です。平城京や飛鳥京の時代に合 わせて造られた官寺です。寺院は室町時代まで続いたそうですが、国庁(国府)の時代になると官寺のあった三田村は次第に外れた地域となっていきます。官寺のあった 東方地域に国庁は選定されました。
(2024/10/05 22:10:00:三浦屋)
寺院に関連して新たに苗字を名乗った事例は江戸時代にもあります。愛知のジークンドーの大家、御館みたち透氏の先祖です。 安城の寺院造営竣工にあやかり御館みたち を苗字とした伝えを持ちます。カンフー 武術の国際道場を経営してインターナショナルな活動をしている方です。さらに、 宮城県内富谷付近の家にもありました。 その昔に、集落内に新しいお寺を造ったので苗字を新坊しんぼう、としたそうです。新坊の苗字はこの家一軒です。
(2024/09/29 19:23:00:三浦屋)
時の天皇の命によって造営された官寺の存在はいわば、国土の神や国津神ともいえるものです。天神地祇の地祇には[土地の神]の意味も含まれています。三田地の地は この官寺の地(跡地)を指しているものと思われます。苗字云々については、おそらく時代の推移で、官寺が衰退して無くなったあとの事であると思います。
(2024/09/28 16:48:00:三浦屋)
三重県伊賀市の三田地は三田(屯倉、屯田、御田)の中の三田地であり地名群落の 一種といえます。自然地名ではないようであり、人々の生活のなかで発生したものと思われます。ちっぽけな小字地名三田地ではあるものの以前にも記載している通り、 古代官寺がかつて在った跡地であり、三田の中心地(三田廃寺)になった所であります。
(2024/09/22 12:38:00:三浦屋)
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