投稿
なぜここに…佐保山の地名があるのかは 不明です。太白山から流れてくる笊川にかかる大仏(小仏?)の名がつく橋がすぐ近くにあるなど、いずれ仏教に馴染みのある地域です。 もう一つ考えられるのが佐保さほ、でなく シボだとすると秋保(シボと読める)との 関連も考えます。秋保神社の原型は諏訪神社です。諏訪の文字は取方シュホウ、シボ に通じます。シボ族は大陸系の主力民族であり後漢の滅亡後おそらく大挙して日本列島に波状的に押し寄せ(国外逃亡の意味) 結果列島に永住しています。この頃に彼らが自然に付けた地名が現在の地名の一部に なっていると思われます。
(2025/03/07 20:26:00:三浦屋)
太白山のすぐ近くに[佐保山さほやま]の地名があります。小字であり谷あいの地区を指しており山の名前ではありません。 佐保山の元祖は、奈良市北部を流れる佐保川一帯の山名です。古くから天皇や古代豪族の葬送地となっており、日本書紀にも出てくる地名です。平城京の範囲に含まれた重要な地域です。佐保山や佐保の地名は他にも何ヶ所かあります。
(2025/03/07 19:42:00:三浦屋)
このあたりには仏堂遺跡がもう一つ発見されています。笊川をはさんで紅堂の対岸にある御堂平遺跡です。仙台市立西高を建設 するための発掘調査です。昭和58年の県教委の調査書があがっています。平安末から室町期に存在していた宝形造りの仏堂で あり大きさは3間✕3間、基壇をつくるための切土跡、礎石根石跡が確認されています。ただ、他に遺跡らしいものは発見されていないので白石市の堂田遺跡のような 単独の仏堂であった可能性が高いそうです。付近に遺された仏教地名や太白山の廃寺あるいは紅堂伝説、御堂の存在などがあって仏教修行の地であったことに違いは ありません。
(2025/02/21 21:23:00:三浦屋)
謎のお堂伝説について鈎取の紅堂べにどう の言い伝えが印象に残る。835年の空海入定の年に建てられたと伝わる紅堂だが、当時このあたりでは大変珍しい赤いお堂だったので自然に地名として残ったらしい。弘法大師の足迹や名水を掘り当てた伝説は全 国津々浦々に伝わる。伊達藩の安永風土記 は江戸時代後半の遺跡調査書である。当時 既に、現地に遺跡らしいものもなく古い口碑だけでは藩記録の対象外となった可能性 もある。また近くには弘法大師の火防講伝説を残す旧家が現存する。
(2025/02/08 21:43:00:三浦屋)
明治以前は神仏混淆の時代であったので 寺以外は明神、太子堂など堂の名称が付きました。すなわち地蔵堂、阿弥陀堂、薬師堂、諏訪堂、羽黒堂、熊野堂、権現堂、天神堂等々数限りなくあります。某屋敷も多くお堂の名前が地名にまでなって残ってお ります。一般庶民の信仰や拠り所になったと思われます。お堂は道祖神などと共に 町境や村境に置かれた例が多く修験者同士の情報交換の場になったとも云われます。
(2025/01/12 20:01:00:三浦屋)
また修験者は登山や巡礼を行うことで自らを鍛え気を清めることを目的としています。特定の山は神聖視されておりそこに登ることで内面的な成長を得ると信じられています。
(2025/01/05 09:33:00:三浦屋)
修験道というのは役小角を開祖とする日本独特の宗教である。山には神が宿ると考えられ特に高い山は神聖視されることが多い。修行の一環として、修験者(山伏)は聖なる場所を訪れる事で神と接触を求めたり護りを願ったりする。
(2025/01/03 22:06:00:三浦屋)
仙台市泉区に杭城館という南北朝期の山城跡が在ります。道も無いような相当の山奥であり郷土史家の紫桃正隆氏が発見した いわく付きの山城跡です。仙台市教委で 調査したところ伝説と違い本格的で拠点性の高い山城である事が判明しました。付近には在地集落の跡地もありません。 山城の位置はその昔、定義如来西光寺への 参拝道であった伝えがあります。城地の選定は各武将たちが決めたものと考えられま すが、特に南北朝期は修験者たちが武家集団との情報交換やスパイの役目を果たして いたことが古文書に散見されます。各武将たちの動向は勿論、地理、気象、商工業に詳しい修験者たちが城地の選定にも関わったのではないかと想像されます。少ない資料の中に随所で武家集団と修験者の関係が見え隠れしています。
(2024/12/29 22:33:00:三浦屋)
戦国時代の城は大体が在家集落を取り込ん で籠城時に備えていますが、南北朝時代に 在家集落はないようです。飲料水は山の上でも何箇所にも井戸を掘りますが、日常の食料補給はどうしていたのか不思議でなりません。城構造の違いや特徴が教委の遺跡調査においてもよく判かります。
(2024/12/28 16:50:00:三浦屋)
桜江町の三田地集落北西2キロに鏑腰城の山城跡が残っています。江の川を外堀に見立てた南北朝期〜室町期に在った城で、朝鮮貿易によって富を築いた土屋氏(桜井氏)の居城でした。桜江町は戦国時代に鏑腰城桜井氏の在家集落(小城下町)でした。戦国期には毛利氏の麾下となっています。三田地集落との関連や時代背景は不明です。 藤田新田開拓のような歴史が伝わっていれば、尚結構かと考えます。
(2024/12/15 17:12:00:三浦屋)
1件目~10件目を表示しています。

三田地さんの掲示板

全国の三田地さんに関する掲示板です。三田地さんに関するエピソードや三田地さんの由来、「三田地会」、「三田地」サークルなどの存在や三田地さん限定サービスなどのお得情報等、三田地さんに関することを教えてください。
足跡&一言だけでもぜひお願いします!!
このページは自分のお仕事をPRしたり、ホームページのアドレスを載せてもOKです。 ただし無関係の広告や自分の名前ではないページでのPRは削除します。
※個人を特定できる投稿はしないでください。

この掲示板は 19962名の人に閲覧されています。

人探しなら姉妹サイト「ことづて」をご利用ください


© 2013-2025. sijisuru.com All rights reserved.