苗字 九鬼の由来
九鬼姓に関する由来のページです。人口の多い地域、使われている漢字、"九鬼"を冠する発祥の地、名字成り立ちや出自といった様々な観点でルーツを検証しています。また皆様よりよせられた名字の由来、逸話等を掲載しております。本ページに掲載されていないルーツや逸話をご存知の方は是非教えてください。
名字の由来
【皆さんからいただいたコメント】
毛利水軍の強さを改めて知る事となった織田信長は、「九鬼嘉隆」にこれに対抗する燃えない鉄製の船を建造するように命じました。
九鬼の本拠地、鳥羽は今もかつての志摩水軍の面影を残し、水軍の訓練を脈々と受け継ぐ鳥羽商船学校が設立された。
信長の信頼厚く、秀吉・家康とも共に戦国の世を渡った九鬼家。幕府崩壊ともに人知れず消えた。
合気道は九鬼神流と九鬼神傳の古神道の教えを元に作られた武術
九鬼嘉隆が総員9000名を指揮する水軍総大将に命ぜられる。豊臣秀吉より金団扇の馬印と茜色の吹貫を賜ったとも言われる。
九鬼水軍は、戦国時代の水軍。志摩国を本拠とし、九鬼氏に率いられた。強力な水軍であった毛利水軍を第二次木津川口の戦いで破り、織田信長方の水軍として近畿圏の制海権を奪取した。織田水軍・志摩水軍 とも称する。九鬼嘉隆は鉄甲船を建造した。
信長により、登りつめた水軍の将。地方の小さな水軍から日本水軍の総大将と言われるほどになった謎多き九鬼の一族。
九鬼家の家紋は丸の周りに同じ丸を六つ並べて配置する七曜紋、北斗七星を表す。
毛利、村上水軍の焙烙火矢にしてやられた九鬼嘉隆は火炎にびくともしない鉄装甲の船を造り、ここ木津川表に回航させていたのである。 いよいよ宿命の天正 6年 11月 6日朝を迎える。会戦は九鬼嘉隆の包囲陣に毛利水軍 600余艘が仕掛けた。記録では「始めのうちは毛利軍優勢のうちに推移したかに見えたが、鉄装甲の船には鉄砲も砲も歯が立たず、焙烙や火矢に燃えることもなく、そのうち 6隻の大船の大砲が威力を発揮、敵船を間近に寄せおいて、旗艦を打ち崩したから、敵船は恐れをなしてそれ以上寄せてこなかった。
九鬼は豊臣秀吉が死去すると朝鮮からも撤退。そして九州には赴いたが朝鮮出兵を免れた徳川家康は兵力・経済力も温存でき、力を落とした豊臣政権勢力と対立して行く。ちなみに、日本水軍をさんざん苦しめた李舜臣は朝鮮征伐の戦いの後も日本の水軍や廻船を見つけると果敢に攻撃し、物資を略奪していた。
鉄甲船は、炮烙火矢や鉄炮の攻撃をかわすためだけに鉄板張だったのではない。3門の大砲が備え付けられていたと記されているように、軍船を破壊しうる艦載砲が備え付けられていたのである。
この段階になると、鍛え抜いた海賊衆個人の戦闘能力よりも、複数の艦載砲や大量の火縄銃を装備した大型軍船安宅船を駆使する軍事力と、それを支える資本力が不可欠になってくる。従来の関船や小早を巧みに操って敵船に近づき、炮烙火矢などを飛ばして焼き沈める、あるいは敵船に乗り移って切り結ぶことを得意とした海賊大名の時代は、終焉を迎えたのである。
九鬼水軍の転機となってしまったのが慶長五年(1600)の関ヶ原合戦。
関ヶ原合戦、父・嘉隆は西軍、家督を継いでいた守隆は東軍、嘉隆は敗れて自刃。
その後、徳川幕府から分割相続を命じられ、
隆季は丹波綾部(現・京都府)二万石。隆久は摂津三田(現・兵庫県)三万六千石に転封となってしまいます。この二ヵ所は内陸部で海に面しておらず、このときより九鬼水軍は、水軍としての歴史に幕を閉じました。
しかしその後、隆久の三田藩では、水軍の誇りを忘れないために、城の前に大きな池を作り、軍船を浮かる伝統行事がうまれました。
特に織田信長、豊臣秀吉に取り立てられ、徳川家康にも仕えた。志摩の各水軍を一つにまとめ上げた九鬼氏です。
九鬼氏は、熊野海賊の一員であったと言われています。海賊と言っても、現在イメージする海の盗賊団という意味ではなく、中世において、船団によって海上を制圧していた各地の軍団のことで、水軍とも呼ばれています。熊野から伊勢にかけても多くの海賊衆が存在していました。九鬼氏もその一つで、史料にはっきりと名前が現われるのは14世紀半ばのことです。当時は南北朝の動乱期で、各地で様々な勢力が盛衰を繰り返していました。九鬼氏は、水軍を背景に、相差や泊(鳥羽)などの志摩地方に力を伸ばしていきました。
伊勢・志摩の海賊衆は、関東から東海にかけての戦国大名の水軍として組織され、北条氏・武田氏・徳川氏などの戦国大名の海上戦力となるとともに、伊勢の米をはじめとする物資を関東方面に供給する廻船としての役割も果たしていたようです。
九鬼氏は、織田信長に仕えることとなり、伊勢長島の一向一揆攻めで功績をあげ、大きく力を伸ばしました。信長の死後は秀吉に仕え、朝鮮へも主力水軍として従軍しています。関ケ原の戦いでは、嘉隆(よしたか)と守隆(もりたか)の親子が東軍と西軍に分れて戦い、家康に功績を認められた守隆がその後の志摩の領主として君臨しました。
-
天正15(1587)年の村上・毛利水軍平定、同18(1590)年の小田原征伐に豊臣水軍の総大将として参加しています。
かつて軍船の漕ぎ手は奴隷身分とされていたが、九鬼はその最下層身分にも一定の地位を与えて士気を高めた。信長と共に身分に拘らない実力主義者であった事が水軍を大きくしたのでしょう。
豊臣秀吉亡き後、伊勢・岩出城に入った稲葉道通が木材を大阪方面に海上輸送する際、九鬼氏に「通航税」を払うのを拒否。
稲葉道通は九鬼嘉隆が朝鮮出兵した際の論功行賞においても、豊臣秀吉が九鬼嘉隆に恩賞を与えようとした際に反対して人物である。
九鬼嘉隆は徳川家康に、豊臣秀吉の時代から伊勢湾の通航税徴収の特権は九鬼氏が得ているものと訴え出たが、徳川家康はこれを拒否。
ついに、水軍の役割として重要な通航税が鳥羽水軍からも奪われた。以後、九鬼嘉隆は徳川家康に反感を抱く。
鉄甲船の建造には莫大な資金が必要だったが、織田信長も鉄甲船建造に同意し、堺の代官・松井友閑に対し「九鬼兵糧」と称し月毎に九鬼嘉隆に支給を命じ、間に合わなかったら、織田信長の直轄領である平野から立て替えてでも「九鬼がこと欠かざるように奔走せよ。」と命じた。
鬼というのは鬼道とも言われる修験道に由来していて、その九番目の拠点道場があった場所という説が有力です。 ... 鎌倉から室町時代にかけて、新宮から始まって九番目の修験道場
文字の意味から由来を探る
九の由来
種類: | 象形文字 |
意味: | ここの。ここのつ。 |
由来: | 手を曲げて引き締める姿を描いたもので、つかえて曲がる意を示す。転じて、一から九までの基数のうち、最後の引き締めにあたる九の数、また指折り数えて、両手で指を全部引き締めようとするときに出てくる九の数を示す。究(奥深くゆきづまって曲がる最後の所)の音符となる。また、糾合キュウゴウの糾、鳩合キュウゴウの鳩と通じる。証文や契約書では、改竄カイザンや誤解をさけるために、玖と書くことがある。 |
鬼の由来
種類: | 象形文字 |
意味: | おに。死んだ人の霊魂。 |
由来: | 大きなまるい頭をして足もとの定かでない亡霊を描いたもの。「爾雅」に「鬼とは帰なり」とあるが、とらない。 |
地名から由来を探る
「九鬼」を含む地名を都道府県ごとに表示しています。
※発祥の地や何らかの関わりがあることを保障するものではありません。もし
記載の地名と発祥の関係をご存知の方は是非教えてください。
住んでいる地域から由来を探る
本サイトのデータでは九鬼姓の方は全国に3600世帯ほどいるようで、日本で3591番目に多い名字のようです。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は大阪府のようです。その後和歌山県、東京都にいらっしゃる方が多くなっているようです。九鬼姓の方は上位3位までの都道府県における地名には見られないため、地名から来た名字ではない可能性が高いです。
順位 |
都道府県 |
世帯数 |
| 大阪府 | 約780 |
| 和歌山県 | 約570 |
| 東京都 | 約370 |
| 三重県 | 約350 |
| 兵庫県 | 約270 |
| 愛知県 | 約200 |
| 千葉県 | 約140 |
| 神奈川県 | 約120 |
| 奈良県 | 約110 |
| 埼玉県 | 約110 |
全国分布詳細はこちらからご覧いただけます
九鬼姓の成り立ち
九鬼姓のルーツは地名です。地名から由来する苗字は名字の成り立ちとして非常に多いといわれています。例えば武士や貴族などの場合、邸宅のある場所や、支配地域の地名から因んだ苗字を名乗ったり、出身地から名乗ったりしました。
九鬼姓の出自
出自の確証がとれないため、おそらく庶民の出であると考えられます。
氏神の由来を探す
みんなが知ってる九鬼さんはこんな人
由来や発祥とは関係ありませんが、本サイトの
九鬼姓のページで皆さんからいただいたご意見を集計した内容を表示しています。
本サイトのアンケートでは体力派の方が多いようです。またいい人の割合が多く比較的男性はかっこよく、女性はきれいな人が多いようです。
「九鬼」さんについて教えてください!
苗字の由来
九鬼姓の読み方や、ローマ字表記、名字としての分析や運勢など、もっと詳しい情報を知りたい方はこちら。
どんな人か教えて!!
あなたがご存知の「九鬼」さんはどちらかというと頭を駆使する知力派、はたまた肉体勝負の体力派、それとも個性豊かな芸術派?
こんな名前で呼ばれてます/呼んでます
自分はこんな呼称で呼ばれてます、または九鬼さんへ皆さんが親しみをもって呼ぶときの愛称やニックネームを教えてください。好意的なものであればあだ名でも構いません。
※ひらがなでお願いします。一回に複数の呼称を入れないようにお願いします。
こんな名前に間違えられました
よく間違えて呼ばれる、誤って覚えられてしまう、宛先でよく間違えられる名前があれば教えて是非ください。結果は近日このページまたは特設ページにて公開させていただきます。
読み間違えはひらがな、書き間違えは漢字でひとつずつお願いします。
≪読み間違え≫※ひらがなで一つずつお願いします
≪書き間違え≫※漢字で一つずつお願いします