稲藤さんの奈良県分布
このページは稲藤さんが奈良県に何人くらいいるか市区町村毎のおおよその世帯数を表したものです。
稲藤さんの分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
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※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[ほとんどいない]、[0~10人前後]等と表現させていただいております。各市区町村の合計と[奈良県の推定人口]は一致しません。
奈良県の推定人口 | 十数人~100人程度 | 奈良県の推定順位 | 3303位 |
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稲藤さんの由来
- 稲藤は岩手県紫波町にある地名です。足利尊氏の5代前の足利家長が鎌倉幕府から恩賞として紫波町に守護として赴任。足利氏から地名の斯波氏を名乗りました。その家老に稲藤氏がいます。16世紀半に斯波あき直(あきは言偏に全)が南部信直との争いに負けて、同じ一族の大崎市の奥州探題を頼り敗走。その時に家老の稲藤大炊介が主君と一緒に大崎市の田尻町に同行しました。稲藤氏の本流が一軒のみ田尻町に在住。確かめました。紫波町に稲藤という地名がありますが、大崎に逃れた稲藤氏の分家筋は南部藩に味方をして、その後は南部氏の家紋を授与されて現在も数件存在。(我が家の近く)敗走から433年になります。斯波氏は大崎から京都にさらに逃れたと聞きますが、詳細は不明。紫波町の斯波氏の末裔は九州や東京、神奈川、秋田、青森とかにもあり、実態は不明。奈良県にも京都にも稲藤氏があるようですから、稲藤氏が逃れるときに一族ででたから、あるいは斯波氏に追従して関西に同行したことも推測されます。家老は3人の男兄弟みたいですから。ちなみに大崎の稲藤氏のお墓は20位の墓石があります。岩沼の稲藤氏も傍流かも。伊達藩に使えた記録があります。情報がありましたら教えてください。私の著書に詳細は書いています。09033648705浅沼。
【名字由来教えてください】
稲藤の由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。稲藤姓について由来や字の意味、他の読み方、画数、ローマ字表記、などいろいろな情報を掲載しています。