苗字 小椋の由来
小椋姓に関する由来・ルーツのページです。"小椋"がつく地名、同姓の多い地域、使われている字の意味、成り立ちや出自といった様々な観点でルーツを検証しています。またユーザ様よりよせられたこの姓の由来、逸話等を掲載しております。掲載されていないルーツや逸話をご存知の方は教えていただけると助かります。
名字の由来と起源
【皆さんからいただいたコメント】
- 一族のルーツ的なもので、
もともと山に住む民で木工器を生業にしており、その腕を殿様に認められ、小椋の性を持つものは器を作るために木を切っても良いと認められていたらしい。
- 初めまして
私は、岡山県の県北に住んでいます。私の先祖は滋賀県から350年程前に岡山に移住したそうです。
私の父が昔、山の木を7合目から自由に切っていいと、和紙に書かれた証文を見せてくれました。所々虫に食われていましたが、難しい文言で当時は何を書いているのかわかりませんでした。父がゆうには、何処かの博物館から是非寄贈して欲しいと言われていましたが、父は、拒否したそうです。
そして、我が家には、初代から今現在までの、家系図があります。
- 滋賀県出身の父が小椋姓です。木地師の話や「皇族の末裔」という伝承は父から聞いたことがあります。
椋の字の読みの由来と近江の渡来人の記録や伝承、父方に共通する高身長、色白、顔などの身体的特徴から朝鮮系だと長年思っていました。遺伝子検査で私自身の遺伝子を調べた所、多くの日本人では外国ルーツの遺伝子が1%あるかないかな所、私の遺伝子の14%が朝鮮由来でした。この共通する形質が上に書かれているものと同じなら、同族結婚により朝鮮から渡来してきた時のものを留めているのかもしれません。
- 私の実家は会津にあり、昔は藤原と言う性で今の滋賀県からでたそう。家紋は五七桐で分家は木地師が祖先です。
- 明治の最後の年に生まれ、10年前に亡くなった父から聞いた話です。〈山の中で木地師をしていた曽祖父が若くして亡くなったので、祖母は2人の男の子の手を引いて、轆轤を背中に背負って、鳥取の岩井温泉まで出てきて、細工物を作って、生計を立てながら、子どもを育てました。彼女は身の丈6尺の大女で、12文の下駄を履いていた〉。このように千年近く、木地師として生きてきた、山の民の私の祖先が初めて里に下りたのは、徳川時代の末期だったと思われます。この間、同族結婚を繰り返してきたため、出身地に関わらず、身体的特徴も共通しており、身長が高く、色白で、額が広く、眼窩が深い。小椋久美子さんは典型かもしれません。
- 亡くなった伯父から聞いた話しですが岐阜県に小椋村が存在しているって本当でしょう? 山の民と聞きましたが母も私も山好きで現在私は山登りに夢中です❗ 教えて頂ければ嬉しいです。
- 母方の本家が小椋の姓でした。亡き祖父は、福島県会津地方の生まれ育ちで、確かに美形でセンス良く器用な男性だった記憶があります。家紋が五七桐で皇族系でしたので仏間には家紋が金で形取られた額入りの飾りが掛けられていました。幼少の記憶しかございませんが、こちらの関連記事を拝見した限りではかなり重複する記載事項がございます。
母方の親族から更に詳しく由来を聞いてみたいと思いました。
- 表 「外椋ア鐵」 裏 「代綿十両」
と記されており、外椋ア(部)に鉄の代わりに綿十両を貢進した際の付札とみられる。
日韓で共通する漢字文化として注目されるのが、「外椋ア(部)」という表記である。
まず、「椋」は、もともとムクノキを意味する漢字であるが、ここではクラ(倉)の意味で
使用されている。こうした用例が百済に存在していたことは、中国の正史である『周書』や
『北史』に記された百済の官庁に「外椋部」「内椋部」があることから、これまでも知られて
いたが、本木簡および扶余の陵山里遺跡300号木簡「三月仲椋内上丑」によって裏付けられた。
この「椋」は、日本でも、福岡県小郡市井上薬師堂遺跡の二号木簡「白日椋」や滋賀県野洲市
西河原森ノ内遺跡の二号木簡「椋直」など、七世紀後半から八世紀初頭にかけての木簡に実例が
みられる。古代日本の漢字が、朝鮮半島の影響を受けていたことを物語る代表的な事例といえる。
この「椋」字の用法は高句麗に由来し、平安南道南浦市徳興里古墳(409年)の銘文にみられる
ものが最古である。『三国志』高句麗伝に、高句麗では小さな倉のことを「桴京」と呼ぶという
記事があり、この「桴京」から、「椋」ができたと考えられる。新羅においても、慶州・皇南洞
三七六番地遺跡で出土した統一新羅時代の木簡に
「五月廿六日椋食□□□ 下椋有□石 又米」
「仲椋有食廿二石」
とあるほか、慶州・雁鴨池遺跡で出土した硯に「椋司」と墨書されている。
椋→飛鳥時代に倉の事(奈良時代以降は倉の漢字が使われる。)
飛鳥寺f代倉を管理する渡来人たちの和名字として与えられた。
- 祖父は会津高田付近の出身でした
その付近に小椋村があったと聞いたことがあります
北海道へ来る前は木地師をしていました
文字の意味から由来を探る
小の由来
種類: | 象形文字 |
意味: | ちいさい。少し。 |
由来: | 中心の|線の両わきに点々をつけ、棒を削ってちいさく細くそぐさまを描いたもの。 |
椋の由来
種類: | 形声文字 |
意味: | むく。ムクノキ。ニレ科の落葉高木。チシャノキ。ムラサキ科の落葉高木。 |
由来: | 「木+音符京キョウ・リョウ」。 |
※発祥の地や何らかの関わりがあることを保障するものではありません。もし
記載の地名と発祥の関係をご存知の方は是非教えてください。
住んでいる地域から由来を探る
本サイトのデータでは小椋姓の方は全国に25100世帯ほどいるようで、日本で776番目に多い名字のようです。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は福島県のようです。その後愛知県、兵庫県にいらっしゃる方が多くなっているようです。小椋姓の方は3位までの都道府県における地名には見られないことから、地名が由来というわけではないと思われます。
順位 |
都道府県 |
世帯数 |
| 福島県 | 約3100 |
| 愛知県 | 約2100 |
| 兵庫県 | 約2000 |
| 岡山県 | 約1900 |
| 岐阜県 | 約1900 |
| 大阪府 | 約1800 |
| 東京都 | 約1800 |
| 鳥取県 | 約1500 |
| 神奈川県 | 約1400 |
| 北海道 | 約1400 |
全国分布詳細はこちらからご覧いただけます
小椋姓の成り立ち
小椋姓の由来は地名と考えられます。地名由来の名字は名字成り立ちとして圧倒手に多いといわれています。例えば貴族や武士の場合、本拠地がある場所や住んでいる場所、または支配地域の地名からちなんだ名字を名乗ったり、出身地の地名を名乗ったりしました。
小椋姓の出自
武士や公家の出自という確認がとれないため、おそらく庶民の出であると考えられます。
氏神の由来を探す
苗字にはその地域で称えられていたものに由来するケースもあります。ここでは"小椋"の名がつく神社を紹介しています。
みんなが知ってる小椋さんはこんな人
由来や発祥とは関係ありませんが、本サイトの
小椋姓のページで皆さんからいただいたご意見を集計した内容を表示しています。
本サイトのアンケートでは知力派の方が多いようです。またいい人の割合が多く小椋姓の方は眉目秀麗な男女が多いようです。
「小椋」さんについて教えてください!
苗字の由来
小椋姓の読み方や、ローマ字表記、名字としての分析や運勢など、もっと詳しい情報を知りたい方はこちら。
どんな人か教えて!!
あなたがご存知の「小椋」さんはどちらかというと頭を駆使する知力派、はたまた肉体勝負の体力派、それとも個性豊かな芸術派?
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こんな名前で呼ばれてます/呼んでます
自分はこんな呼称で呼ばれてます、または小椋さんへ皆さんが親しみをもって呼ぶときの愛称やニックネームを教えてください。好意的なものであればあだ名でも構いません。
※ひらがなでお願いします。一回に複数の呼称を入れないようにお願いします。
こんな名前に間違えられました
よく間違えて呼ばれる、誤って覚えられてしまう、宛先でよく間違えられる名前があれば教えて是非ください。結果は近日このページまたは特設ページにて公開させていただきます。
読み間違えはひらがな、書き間違えは漢字でひとつずつお願いします。
≪読み間違え≫※ひらがなで一つずつお願いします
≪書き間違え≫※漢字で一つずつお願いします