苗字 村上の由来
村上姓に関する由来・ルーツのページです。"村上"がつく地名、同姓の多い地域、使われている字の意味、成り立ちや出自といった様々な観点でルーツを検証しています。また皆様よりよせられた苗字のルーツや逸話等を掲載しております。掲載されていないルーツや逸話をご存知の方は教えていただけると助かります。
名字の由来と起源
【皆さんからいただいたコメント】
- 私の住む地域では漁師の家が多い傾向には有りますが、今は昔と違って漁師に対する偏見は無いです。少し前までは世界的にもどこの国も漁業関係の仕事は最も低い身分の職とされて来た事実は有りますが、無くてはならない仕事。今は昔とは考え方も変わりましたから自信を持って名乗りましょう。村上姓
- 穢多・非人どちらも「祭事厳禁」
殺生・生き物を食べる事などが、人に反するするもので有り、死体処理・血に触れる事が“穢れ”として扱われていたからです。
神社で行われる祭事などの神聖な行事には、神を穢すため参加出来きず、
寺の行事すらも禁止されていました。
人々は、「穢れ、汚れた生き物として」
つまり、漁師などとして人では無い獣生活するしか無く、農民にはなれませんでした。
“殺生に関われば不運が付きまとう”
あなたの前世での行いが悪かったから、現世で賤民になった。だから諦める他はない”と教えられることもあったようです。
知識階級と言われ、神・仏道を歩む神官・僧侶達すら、このような残酷な差別を、恥じることなく平気で行うのですから、平民からどのように扱われたかは言うまでもないでしょう。
- 村上は「海の大名」として独立自在な立場を貫いていた。敵の軍船に切り込み焼き払い、散々に打ち破った。覇者
- 先祖は武士
- 賤民は長く同じ身分同士でしか結婚出来ず、必然的に近親婚が多くなり、先天性異常者(近交退化)が増えた一因です。
- 太平洋岸地方には海外から漂流者、上陸者などが少なからずいたそうです。江戸時代には鎖国していたため、おおっぴらにならないようなかたちで漂着地にひっそり暮らし、その祖先が異人の血だという伝承が残っているという村落が、海岸沿いには案外あるようです。
- 日本人だけど、みため外国人みたいです。
- 村上は、信長の天皇や宗教弾圧などに対する不作法な態度に苛立ち、毛利と共に戦いを決した。信長率いる水軍部隊は、村上水軍精鋭部隊の前、大惨敗。怒り狂った信長は、総力を投じ再度挑み掛かる事となったが、二度目の海戦時、既に村上水軍は戦の意味無しとの判断の元、信長勢を通り過ごさせるのであった。
- 穢多 (えた) と非人は区別され,それぞれ分岐した身分を構成していました。親子代々その身分を世襲する穢多と、平民に戻れる余地の有る非人とに分かれ。
非人(ひにん)には、2つの身分が存在していました。野非人(のひにん)と抱非人(かかえひにん)
野非人は、現代表現すると路上生活者、いわゆるホームレスを指していました。農民で有ったが、年貢を納めることが出来なくなった困窮人などです。
抱非人には4種類あります。
⑴近親相姦をした者。
⑵強淫をした者。
⑶不倫男女の無理心中で生き残った者。
⑷犯罪・盗み・放火をした者を指します。
非人は穢多よりも上位の身分になります。
理由として、相応の金を支払えば平民に戻れたからです。先述のように、非人は悪いことをしましたが平民に戻る事が出来、
これが、穢多と非人の最大の違いであり、非人が上位身分であるとされる大きな理由になります。平民に戻れるのは非人のみです。
身元を引き受け、許してくれる人がいるなら、身分は回復します。
穢多は、身元不明死体の埋葬、病・死んだ牛馬を集めては皮を剥ぎ取って革製品を作る事を専業とされていました。それ以外には、藁草履を作り納めていました。
江戸時代、この人々がいなければ、いたる所で、馬・牛の死骸、のたれ死んだ人・戦で死んだ兵で溢れかえってしまっていたのです。また、革製品は戦の道具などに必要なものでした。
江戸時代はまだ食用として牛・馬・豚・鳥を育てておらず、動物の肉を食べる習慣はなかったのですが、この人々は食べる事が許されていました。農民としては働け無い身分でしたから。
- 軍船を巧みに操る海上の軍隊で、守護大名や戦国大名の軍隊の一翼に属することもあった。この側面から学術的に「水軍」と呼ばれている。
中世において海賊が自ら設置した関、彼らの世界では公然とその存在が認められ、関役・上乗料などの徴収は当然の権利として主張されていた。航海中に遭遇した海賊が、自らを「関」「関立(せきだち)」と称して有無をいわさず礼銭を要求することこそ、海の旅人にとって、もっとも強く焼き付けられた不条理な側面だった。
- 朝鮮出兵では李舜臣が用いた朝鮮水軍の「亀甲船」は昔に建造されていた船であったが、細長い流線形で速い速度が得られ、左右両舷に各6門、前後に各1門の銃口を備えただけでなく、長年の海賊対策で構造上強いのを最大の武器に、李舜臣は高速で敵船に突撃し、船の構造自体を破壊する戦闘方法を取った。
村上水軍は、ほうろくを使用したあと、敵船に乗り込み船を奪う戦闘方式が主流。また当時の鉄鋼大型船は速力を軽視し、構造上も弱く体当たりされると壊れやすい。持って大敗退をしたので有る。
- 泣く子も黙る、村上水軍。村上の名は誇り。
- かつて水軍を率いた、一族で村上ほど多く日本に存在する家は何故無いのか不思議。毛利・九鬼・松浦・・名だたる大名の末裔は少ない。
- 朝鮮出兵の本拠地、肥前唐津にある名護屋城に集結した諸大名。先頭の水軍一番隊・村上、そして後に現れたのは九鬼、松浦でした。
- 穢多・非人は、「穢れ、汚れた生き物として」
つまり、漁師などとして人では無い獣生活するしか無く、農民にはなれませんでした。
- 非人は罪により非人となった者、兵士・蝦夷として多く配置されました。
- 秀吉は、天正16年(1588)「海賊禁止令」により、村上水軍はすべての海上特権を奪われ厳罰に処されることになったが、小早川隆景らのとりなしで切腹だけは免れた。しかし瀬戸内海での居住を許されず、さまざまな内陸部に移住することになってしまったのだ。
こうして平安時代より、瀬戸内海を我が物とした海賊衆としての村上氏は、その歴史に幕を閉じることになったのである。
- 戦国時代、瀬戸内最強の水軍を率いた、村上海賊の王・村上武吉。 何百年も自由に生きた村上水軍の一族。
- 非人・河原者(かわらもの)などさまざまに呼称され、ある程度の集団を形成して都市、農村にも散在して、きつい仕事、危険な仕事など、人のいやがる仕事を行った。
主に狩猟生活・屠畜を伴う皮革業者であった。食肉・販売業に従事しつつ私奴婢としての労働力として雑役にも従事させられた。軍役などでは尖兵負担をした。一党は、窃盗や強盗団(海賊)をすることが多かった。
特定の主人などに従属し、支配層の管理の対象として住む場所は制限され、移動の自由がなかった。通りを歩く時は、腰をかがめて頭は地面を見て歩くことを強いられた。身なりも制限された。
- 瀬戸内の海が生み出す複雑で速い潮流を自分のものとしたことで、後世の歴史家から戦国最強の水軍と称えられた村上海賊衆。その華々しい戦いぶりで世間の耳目を集めた。
文字の意味から由来を探る
村の由来
種類: | 会意兼形声文字 |
意味: | むら。むらざと。地方自治体の一つ。 |
由来: | 寸は、手の指をしばしおし当てること。村は「木+音符寸」で、人々がしばし腰をおちつけた木のある所をあらわす。 |
上の由来
種類: | 指事文字 |
意味: | うえ。 あがる。のぼる。 地位や身分が高い。順が先。優れたもの。 |
由来: | ものが下敷きの上にのっていることを示す。うえ、うえにのるの意を示す。下の字の反対の形。 |
地名から由来を探る
地名を起源とする名字は多くあります。「村上」を含む地名は全国に多数存在するため一部のみ表示しています。
※発祥の地や何らかの関わりがあることを保障するものではありません。もし
記載の地名と発祥の関係をご存知の方は是非教えてください。
住んでいる地域から由来を探る
本サイトのデータでは村上姓の方は全国に357100世帯ほどいるようで、日本で37番目に多い名字のようです。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は大阪府のようです。その後東京都、広島県にいらっしゃる方が多くなっているようです。村上姓の方は3位までの都道府県における地名には見られないことから、地名が由来というわけではないと思われます。
順位 |
都道府県 |
世帯数 |
| 大阪府 | 約29800 |
| 東京都 | 約26000 |
| 広島県 | 約23300 |
| 兵庫県 | 約22900 |
| 愛媛県 | 約19600 |
| 北海道 | 約19500 |
| 福岡県 | 約19100 |
| 神奈川県 | 約19100 |
| 熊本県 | 約16200 |
| 愛知県 | 約15400 |
全国分布詳細はこちらからご覧いただけます
村上姓の成り立ち
地名 | 地形 | 職業 | 事物 | 拝領 | 合略 | 明治 | 派生 | 外来 |
〇 | 〇 | | | | | 〇 | | 〇 |
村上姓の由来は地名と考えられます。地名由来の名字は名字成り立ちとして圧倒手に多いといわれています。例えば貴族や武士の場合、本拠地がある場所や住んでいる場所、または支配地域の地名から因んだ名字を名乗ったり、出身地から名字を取ったりしました。他にも地形から因んでいる場合も考えられます。地形から由来する名字の経緯は、同じ地域の中で、その地名を名乗ることができるのは地域の有力者や支配者であり、それ以外の家は周りの地形から名字を名乗りました。帰化した名字には、好きな名字を意味や音から新しく作るもの、元の名前の音に当て字をする人もいます。帰化後につけられる名字はルールがあり常用漢字表に掲げる漢字、別表第二(人名用漢字)に掲げる漢字、片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)の3つの条件を満たすものとなっています。したがってローマ数字やアルファベット、算用数字や記号も使えません。
村上姓の出自
武家 | 公家 | 庶民 | アイヌ | 蝦夷 | 琉球 | 台湾 | 中国 | 朝鮮 | その他 |
| | 〇 | | | | | | 〇 | |
武士や公家の出自という確認がとれないため、おそらく庶民の出であると考えられます。朝鮮を起源とした苗字という説もあります。しかしながら出自にはいくつかの説があり確かなものは各家の伝承でしかわからないと言えるでしょう。
氏神の由来を探す
苗字にはその地域で称えられていたものに由来するケースもあります。ここでは"村上"の名がつく神社を紹介しています。
村上御厨神社
長野県埴科郡坂城町大字上平字小野沢1580番
村上大國魂社
長野県埴科郡坂城町大字綱掛1568-ハ
村上神社(むらかみじんじゃ)
愛知県名古屋市瑞穂区村上町二丁目3番の2
村上神社(むらかみじんじゃ)
大分県津久見市大字上青江643番
村上神社(むらかみじんじゃ)
新潟県佐渡市真光寺字天王453番
村上神社(むらかみじんじゃ)
兵庫県神戸市須磨区須磨浦通四丁目8番11号
村上神社(むらかみじんじゃ)
岐阜県高山市奥飛彈温泉郷村上1461番
村上神社(むらかみじんじゃ)
岐阜県各務原市那加長塚町一丁目64番
みんなが知ってる村上さんはこんな人
由来や発祥とは関係ありませんが、本サイトの
村上姓のページで皆さんからいただいたご意見を集計した内容を表示しています。
本サイトのアンケートでは知力派の方が多いようです。またいい人の割合が多く村上姓の方は眉目秀麗な男女が多いようです。
「村上」さんについて教えてください!
苗字の由来
村上姓の読み方や、ローマ字表記、名字としての分析や運勢など、もっと詳しい情報を知りたい方はこちら。
どんな人か教えて!!
あなたがご存知の「村上」さんはどちらかというと頭を駆使する知力派、はたまた肉体勝負の体力派、それとも個性豊かな芸術派?
いい人ですか?そしてカッコいいまたはキレイな人ですか?
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こんな名前で呼ばれてます/呼んでます
自分はこんな呼称で呼ばれてます、または村上さんへ皆さんが親しみをもって呼ぶときの愛称やニックネームを教えてください。好意的なものであればあだ名でも構いません。
※ひらがなでお願いします。一回に複数の呼称を入れないようにお願いします。
こんな名前に間違えられました
よく間違えて呼ばれる、誤って覚えられてしまう、宛先でよく間違えられる名前があれば教えて是非ください。結果は近日このページまたは特設ページにて公開させていただきます。
読み間違えはひらがな、書き間違えは漢字でひとつずつお願いします。
≪読み間違え≫※ひらがなで一つずつお願いします
≪書き間違え≫※漢字で一つずつお願いします