安食さんの愛知県分布
このページは安食さんが愛知県に何人くらいいるか市区町村毎のおおよその世帯数を表したものです。
安食さんの分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
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※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[ほとんどいない]、[0~10人前後]等と表現させていただいております。各市区町村の合計と[愛知県の推定人口]は一致しません。
愛知県の推定人口 | 十数人~100人程度 | 愛知県の推定順位 | 4301位 |
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安食さんの由来
- 我家の先祖は戦国最上藩に関係し、室町時代の頃からの系図や先祖書があります。出自は宇多源氏で家紋は丸に平四つ目結です。先祖書によれば山形へは江州安食郷から来たと書かれています。この地名からの名前でしょう。今の滋賀県犬上郡豊郷町安食と思われます。この「安食」は5世紀に百済から渡来し日本に多くの技術を伝授した阿自岐(日本書紀に記載)が住んでいた地区とのことです。この’阿自岐’が和風の’安食’に変わったと言われています。なお、江戸初期に最上藩は改易され一族は全て山形から追放されています。 当家は水戸徳川家、親類一族には松平出羽守(松本→松江)、阿部豊後守(忍→白河)に召抱えられ、また幕臣になったとの記録があります。幕臣になった安食與五左衛門の系図や家紋が安食姓の由来で紹介されているケースがありますが、出自等に誤りが多いです。なお、今現在、山形にお住まいの方々と我が一族の繋がりは不明です。先祖書には山形以前も書かれていますが、なにかと誇張話もあり信頼性から公開は躊躇います。山形にお住まいの方々の伝承とすり合わせれば確かなことも判るのですが、伝手が無いです。 私は15代前の先祖「安食大和守光信」(最上義光、家親の家老)の直系の末裔です。光信の時代以降からは、当家の先祖書と各地方に残っている当家関連の古文書、光信が開基した寺(光信山善翁寺)や立石寺に残る資料との整合は取れています。特に、光信の甥(安食彦兵衛)が記述した親類図や系図が阿部藩に残っており、当家の先祖書の信憑性が立証できます。ただ、光信以前については先祖書の記述を裏付ける資料が無く、なんとも言えません。
【名字由来教えてください】
安食の由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。安食姓について由来や字の意味、他の読み方、画数、ローマ字表記、などいろいろな情報を掲載しています。