我妻さんの千葉県分布
このページは我妻さんが千葉県に何人くらいいるか市区町村毎のおおよその世帯数を表したものです。
我妻さんの分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
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※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[ほとんどいない]、[0~10人前後]等と表現させていただいております。各市区町村の合計と[千葉県の推定人口]は一致しません。
千葉県の推定人口 | 600人程度 | 千葉県の推定順位 | 1372位 |
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我妻さんの由来
- ヤマトタケルノミコトからきた
- 鎌倉時代くらいには上野国吾妻本郷(現・群馬県吾妻郡)に存在した武家らしいです。 姓の由来は、日本書紀において日本武尊が妻(弟橘媛)を思って碓日嶺(現・碓氷峠)にて口にした「吾嬬者耶(あずまはや・ああ我が妻よ)」。 大坂夏の陣にて自刃した真田大助の遺児を、匿いながら奥州に逃れた家来に「我妻佐渡守」という人物がおり、伊達家重臣・片倉小十郎に保護され、片倉家累代の祈願神社である刈田嶺神社(現・宮城県蔵王町)の禰宜を経て、農民となったようで、蔵王町には国指定重要文化財「我妻家住宅」や「我妻佐渡墓碑」などがあります。 刈田嶺神社奥宮は山形県と宮城県の県境にあり、宮城側では「あがつま」、山形側では「わがつま」と名乗ることが多いようです。
- 上野国、吾妻郡(あがつまぐん)の郡名の由来日本武尊のア~吾嬬や伝説はともく、郡名(行政区画用語)です。上野国にはあがつま郡の他幾つかの郡が現在もあります。甘楽郡とか。吾妻とか 甘楽とかは苗字ではなく郡名なのです。これがポイントです。頼朝の鎌倉政権時代までは吾妻郡は吾妻郡でした。この鎌倉時代に読み方はあがつまで変わらず字が一字変えられ「我妻郡」にされたようです。甘楽郡は甘羅郡に。鎌倉幕府の終焉で全部旧郡名に戻りました。だから我妻も甘楽等も時代限定の郡名です。行政区画名の変更など
- 続。鎌倉時代は150年間。蔵王町の我妻は郡名が我妻(あがつま)の時代に様々な事情で奥州蔵王山麓に流れ落ちたりしたはず。此方に来て、古里の地名を苗字にした
- 続。鎌倉時代は150年間。蔵王町の我妻は郡名が我妻(あがつま)の時代に様々な事情で奥州蔵王山麓に流れ落ちたりしたはず。此方に来て、古里の地名を苗字にした
- 我妻読みは『あがつま』『あづま』『わがつま』の三系統がメインですが、元は全て同族です。 明治期の身内で『あがつま』を名乗って居たが役所へ届け出た際にフリガナ欄が無く、フリガナ欄が出来た頃に役所の人間が適当に書き分けた為に読みが分かれた、、、と当時を知る方から直接伺った事が有り、実際にその兄弟は『あがつま』『あづま』『わがつま』と兄弟で苗字の読みが異なりますが江戸期からも混同されていた事から大して気にもしてませんでした。 なので、我妻氏は上記三系統の読みには殆ど全て反応するという習性が有ります。
【名字由来教えてください】
我妻の由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。我妻姓について由来や字の意味、他の読み方、画数、ローマ字表記、などいろいろな情報を掲載しています。