江頭さんの秋田県分布
このページは江頭さんが秋田県に何人くらいいるか市区町村毎のおおよその世帯数を表したものです。
江頭さんの分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[ほとんどいない]、[0~10人前後]等と表現させていただいております。各市区町村の合計と[秋田県の推定人口]は一致しません。
秋田県の推定人口 | 数人~10人程度 | 秋田県の推定順位 | 5521位 |
---|
| ||||||
| ||||||
|
江頭さんの由来
- 江頭氏の由来は近江八幡市江頭町が発祥の宇多源氏「後の佐々木源氏や近江源氏」と呼ばれた氏族が発祥です。 九州では南北朝時代に今川氏の家臣で来住した佐賀県新庄郷の江頭城の城主で江頭摂津守に始まり戦国期には江頭筑後守や本流と云わる大村家の家臣「大村家の旧族」の江頭氏がおり江戸時代に大村藩の家老を輩出しています。
- 滋賀県近江八幡市江頭町(旧:江頭邑)発祥。 長崎県大村市玖島が藩庁大村藩士に伝承あり。 佐賀県佐賀市蓮池町大字蓮池が藩庁の蓮池藩士、佐賀県小城市小城町が藩庁の小城藩士に記録あり又、南北朝時代に下向し佐賀県佐賀市鍋島町大字八戸溝にあった江頭城で1467年(応仁元年)のに記録あり。
- 江頭氏の氏神神社は、沙沙貴神社、日吉神社、大村神社が氏神になります。
- 先祖が江頭氏に追従した臣であったため大村藩の江頭さんについての詳しい情報を提供したいと思います。 戦国期の宗家の江頭 左衛門伍郎[通称:伍郎左衛門]は宇多源氏または近江源氏や佐々木源氏と言われた江州、旧佐々木一門である戦国期に衰退し戦に敗戦すると戦国期の縄張り図参照の仮名書きでゑかしらと名乗り近江国と摂津国の境で郡代の田崎氏に匿われ隠遁生活の中、田崎姓を一時期名乗ったとの文書があります。 肥前の大村領主であった大村 純前公に故ありて純前公の恩命を蒙りて(訳あって純前公の恩命を賜り)大村姓一門と婚姻し領地を賜り長崎県東彼杵郡川棚に移り江頭の姓に復す(戻った)との記載あり。また先に九州に来住していた江頭 筑後守(大村一門から龍造寺の配下に下った)同じく大村家の家臣であった江島家の臣(福岡の江頭氏)とは同族であり江頭 伍郎左衛門の後裔が兵制改革で有名となった江頭 官太夫である。
- 江頭官太夫の改革については藩政改革及び兵政改革の祖「剣術、砲術改革、及びフェートン号事件に始まりペリー率いる黒船来航が決定打となり危機意識を高めた大村藩は官太夫が主体となって長崎警備を交代で行っていた福岡藩、佐賀藩、平戸藩と協議を結び共同で内外に砲台建設を行った」で評判が江戸にまで轟き水戸斉彬公に江戸に訪れた際には水戸藩邸まで尋ねられ改革の話しを聞かせてほしいとの書簡があるとの話しを末裔である友人に聞いたことがある。
- 蜂須賀藩の普代家臣の江頭家や久留米藩の普代家臣の江頭家もお忘れなきようお願いします。
【名字由来教えてください】
江頭の由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。江頭姓について由来や字の意味、他の読み方、画数、ローマ字表記、などいろいろな情報を掲載しています。