篠原さんの鹿児島県分布
このページは篠原さんが鹿児島県に何人くらいいるか市区町村毎のおおよその世帯数を表したものです。
篠原さんの分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[ほとんどいない]、[0~10人前後]等と表現させていただいております。各市区町村の合計と[鹿児島県の推定人口]は一致しません。
鹿児島県の推定人口 | 2,500人程度 | 鹿児島県の推定順位 | 102位 |
---|
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
|
篠原さんの由来
- 私は曾祖父母祖父母が岐阜県恵那郡竹折町に戸籍があり祖父母が後に東京都台東区浅草橋に超したようです。
- 私の先祖は長野県中野市に住んでいました。父は、篠原姓は、滋賀県の篠原郷が発祥の地だと言っていましたが、私は今の甲斐市篠原から武田信玄の信濃侵攻とともに、北杜市、佐久郡小海町、北信濃一帯へと広がっていったのではと考えています。理由は篠原姓が特に多い地帯を結んでいくとそういうラインが引けるからなのですが、いくら調べてもそういう説がないのです。長野の方に調べて頂きたいくらいです。私は現在は遠く離れたところで暮らしています。
- 祖母から平家の落人で篠原という人がいたと聞いたことがあります。グーグルで「篠原 平家の落人」で検索すると、兵庫県三木市に篠原神社という神社がでてきました。その神社の由緒は、「孝徳天皇白雉2年(651)の創立。ささの天神、篠原大明神、六所大明神とも云ふ初め、大殿林(北谷村大島)に鎮座するも、後に今の地に遷座。正保4年(1647)、社殿を改造。 宝暦4年(1754)、更に之を造替す。 寛文3年(1663)、吉田宗源宣旨により正一位となる。 明治7年(1874)、村社に列せられる。」と書いてありましたが、篠原大明神が、名前の由来と関係あるかもしれないと思いました。
- 栃木の壬生にある私の母方の実家は篠原姓の本家で、本家の墓があります。古墳も保有してます。 昔は家の周り(城の周り?)にお堀もあったと聞いています。
- 父(S9年生まれ)の出生地が南佐久郡小海町大字千代里です。もちろん篠原だらけですが、大本家は勘三郎家か弥次右衛門家かと篠原芳家禄なる古文書を探し出して、自費出版しました 源氏筋で、八幡太郎義家の弟、賀茂次郎義綱の系流とのことでした
- 以前、投稿した長野県中野市から九州に来た篠原家の子孫です。あれから、調べ続け、今のところ、我が篠原家は、清和源氏、足利氏と続く末裔であり、滋賀県野洲郡篠原村から甲斐の国に入り、今の甲斐市篠原に 移り住んだ一族のようだと思われました。山梨県北巨摩郡、甲府市に多い姓らしいですが、いつか甲斐市の八幡神社(篠原神社)にお参りしたいと思っています。 甲斐から信濃への、小海線経由、篠原の旅もこれからの楽しみとして、いつか実現させたいと思います。 「山梨姓氏録」「角川日本地名大辞典 山梨県」等を 参考にしました。
【名字由来教えてください】
篠原の由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。篠原姓について由来や字の意味、他の読み方、画数、ローマ字表記、などいろいろな情報を掲載しています。