為我井姓 人口

為我井の人口 このページは為我井さんの全国分布、日本全国に何人程度なのか概ねの人口を表示しています。 為我井さんのルーツや全国への広がりや分布状況の参考にしてください。
※あくまで参考値であり保証するものではありません。
全国の推定人口
約1,370人程度
推定人口の順位
6819位

※本サイトではプライバシー保護のため人口が少ない場合は[0~10前後]、[ほとんどいない]等と表現し、端数についてはも四捨五入させているため[全国の推定人口]と各都道府県の[人口]の合計は一致しません。


為我井姓 ランキング上位

  • 人気1位  茨城県(約710人)
  • 人気2位  東京都(約200人)
  • 人気3位  神奈川県(約180人)
  • 人気4位  千葉県(約170人)
  • 人気5位  埼玉県(約120人)

為我井姓 県内比率ランキング上位

  • 人気1位  茨城県(0.024%)
  • 人気2位  千葉県(0.003%)
  • 人気3位  神奈川県(0.002%)
  • 人気4位  埼玉県(0.002%)
  • 人気5位  東京都(0.001%)

為我井姓都道府県分布一覧

都道府県 人口県内比率
北海道0~10前後0.00%
青森県ほとんどいない0.00%
岩手県ほとんどいない0.00%
宮城県ほとんどいない0.00%
秋田県ほとんどいない0.00%
山形県ほとんどいない0.00%
福島県ほとんどいない0.00%
茨城県約7100.02%
栃木県0~10前後0.00%
群馬県ほとんどいない0.00%
埼玉県約1200.00%
千葉県約1700.00%
都道府県 人口県内比率
東京都約2000.00%
神奈川県約1800.00%
新潟県0~10前後0.00%
富山県ほとんどいない0.00%
石川県ほとんどいない0.00%
福井県ほとんどいない0.00%
山梨県ほとんどいない0.00%
長野県ほとんどいない0.00%
岐阜県ほとんどいない0.00%
静岡県0~10前後0.00%
愛知県ほとんどいない0.00%
三重県ほとんどいない0.00%
都道府県 人口県内比率
滋賀県0~10前後0.00%
京都府ほとんどいない0.00%
大阪府ほとんどいない0.00%
兵庫県ほとんどいない0.00%
奈良県ほとんどいない0.00%
和歌山県ほとんどいない0.00%
鳥取県ほとんどいない0.00%
島根県ほとんどいない0.00%
岡山県ほとんどいない0.00%
広島県0~10前後0.00%
山口県ほとんどいない0.00%
徳島県ほとんどいない0.00%
都道府県 人口県内比率
香川県ほとんどいない0.00%
愛媛県ほとんどいない0.00%
高知県ほとんどいない0.00%
福岡県ほとんどいない0.00%
佐賀県ほとんどいない0.00%
長崎県ほとんどいない0.00%
熊本県ほとんどいない0.00%
大分県ほとんどいない0.00%
宮崎県ほとんどいない0.00%
鹿児島県ほとんどいない0.00%
沖縄県ほとんどいない0.00%
為我井という名字は全国で6819番目に多い苗字となっています。およそ10万人に1人そこそこ居る可能性があります。茨城県や東京都や神奈川県や千葉県や埼玉県や静岡県に多くいらっしゃるようです。また県内の人口比率だと茨城県や千葉県や神奈川県や埼玉県や東京都や長崎県にいると思われます。地域としては関東地方に多い名前のようです。一概に為我井さんの多くいるところが名字のルーツや発祥の地とは言えませんが、何かしらいわくがある可能性は高いでしょう。調べてみると何か見るかるかもませんね。もしかすると地名に為我井さんの名前がついているところがあるかもしれません。調べてみると名字の意外なことがわかるかもしれませんね。そして茨城県や北海道や栃木県に移り住まわれた方が多いようです。

【地域分布】

【上位10位までの都道府県分布】

- 都道府県の凡例 -

北海道東北
■北海道■青森県■岩手県■宮城県■秋田県■山形県■福島県
関東地方
■茨城県■栃木県■群馬県■埼玉県■千葉県■東京都■神奈川県
中部地方
■新潟県■富山県■石川県■福井県■山梨県■長野県■岐阜県■静岡県■愛知県
近畿地方
■三重県■滋賀県■京都府■大阪府■兵庫県■奈良県■和歌山県
中国四国
■鳥取県■島根県■岡山県■広島県■山口県■徳島県■香川県■愛媛県■高知県
九州沖縄
■福岡県■佐賀県■長崎県■熊本県■大分県■宮崎県■鹿児島県■沖縄県
【このページのデータについて】
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為我井さんの由来

  • ルーツは群馬県の田部井という武家から2つのルートで分れたと都内の学者から聞きました。 その学者から送られて来た家系図を遠く遡ると源義経も存在します。
  • 伊賀忍者だったってなくなった祖母から聞いた
  • 源氏の武士だったと亡くなった祖父は言っていました。 茨城県結城郡に為我井村?があり、そこから出てきたこと、我が為に井戸を掘るという意味だとも言っていました。
  • 為我井(ためがい)姓は、茨城県結城郡八千代町大字佐野と大字西大山(八千代町合併前は大字大山で、江戸時代は、佐野村から分かれた大山新田)に集中しています。 江戸時代初期の古文書は、現在のところ現存していないのでは無いかと思われます。よって為我井姓のことも村の歴史も江戸時代初期については、謎が多いのが事実です。ただ言い伝えが正しいとすれば、為我井一族は、群馬県の新田氏の一族岩松氏から分かれた田部井(ためがい)氏に繋がっていることにななります。 私が聞いた言い伝えは、『昔赤城山の方から二人の侍が馬に乗ってやって来た』というものです。しかし、 田部井氏発祥の地の群馬県佐波郡東村(現伊勢崎市)の教育委員会の調査では、『系図が繋がらないので、田部井氏の一族と断定は出来ない』ということで、東村史では『茨城県八千代町に為我井姓がある』だけの掲載で終わっています。
  • 『為我井』は、当て字であろうと思われます。為我井氏が田部井氏と同族だとしての話ですが、茨城県に移住した人たちだけが、この漢字を何故使用したのか全然わかってません。ちなみに、江戸時代中期の墓石に、施主の父が為我井、子が為貝と彫られてあるのもあります。 江戸時代の人は、漢字にはあまりこだわっていなく、いろんな漢字を使用していたみたいです。
  • 『為我井』は、当て字であろうと思われます。為我井氏が田部井氏と同族だとしての話ですが、茨城県に移住した人たちだけが、この漢字を何故使用したのか全然わかってません。ちなみに、江戸時代中期の墓石に、施主の父が為我井、子が為貝と彫られてあるのもあります。 江戸時代の人は、漢字にはあまりこだわっていなく、いろんな漢字を使用していたみたいです。
  • 為我井本家(正確に言うと、江戸時代後期に分家を出した為に、新宅から見て本宅と言われた家)やもう一軒に、江戸時代末期作成の系図が残されています。そして私は、その系図を解読した方のコピーを持っています。ただ残念なことに、読み間違いがあるのと、系図そのものの精度が低いのではなかろうかと思います(特に江戸時代前期)。ただこれを基にいろいろ調査が出来るので、 貴重な資料ではあります。大事に保管されていたお宅には感謝しています。
  • 江戸時代前期の延宝検地帳(1670年代頃)が残されています。これが、今のところ佐野村と為我井一族を知る最古の古文書です。 宗門人別帳は、宝暦年間(1750年頃)に作成されたものが1冊があり、また絵図も幾つか残されています。
  • 為我井姓が集中している佐野地区には、他に5~6つの名字を名乗る一族が古くからいます。延宝検地帳には、もちろん名字が記載されていないので、特定は出来ません(一部為我井姓のお宅は数軒確定しています)が、この史料でわかることは、一軒だけ畑地をたくさん所有していること、田地に関しては、極端に少ないお宅もあるが、概して各家とも差が無いことがわかります。 佐野地区は、為我井氏(2人の兄弟)が開拓したとも言われています。しかし数少ない史料からではありますが、 ①系図の信憑性、検地帳の内訳から推測するに、佐野村は江戸時代以前から為我井氏やその他の氏によって開拓されていたと思われます。ただ西部の高台である戸呂賦ヶ原(とろぶがはら、アイヌ語で当て字ではなかろうかと、近くにアボッケというアイヌ語の地名の場所もあります) は、その後も開拓されました。 ②開拓にあたっては、数人では無く数十人の可能性が高いので、私は為我井一族の集団移住により成されたのでは無かろうかと思っています。牛久から為我井姓を名乗る人が、佐野にやって来たという話も聞いたことがあります。  
  • 幕末に財力があった為我井2家が系図を作成しましたが、この初代2人が兄弟で、但馬と丹後という名になっています。しかし残念ながら、これを証明する史料が残っていないのと、隣村の瀬戸井村の慶長検地帳に但馬と丹後の名前があることから、 私の推測になりますが、系図作成にあたってこれらの名を借りて来た可能性が大きいと思います。 ただこの2家が代々組頭と一時期を除いた大半に名主を勤めていたのは事実です。ただこの名主家、延宝期に別れた分家筋なので、何故名主になれたか疑問が残るところです。 ちなみにこの名主家、太平洋戦争後の農地解放で東京に移って行きました。
  • 幕末に財力があった為我井2家が系図を作成しましたが、この初代2人が兄弟で、但馬と丹後という名になっています。しかし残念ながら、これを証明する史料が残っていないのと、隣村の瀬戸井村の慶長検地帳に但馬と丹後の名前があることから、 私の推測になりますが、系図作成にあたってこれらの名を借りて来た可能性が大きいと思います。 ただこの2家が代々組頭と一時期を除いた大半に名主を勤めていたのは事実です。ただこの名主家、延宝期に別れた分家筋なので、何故名主になれたか疑問が残るところです。 ちなみにこの名主家、太平洋戦争後の農地解放で東京に移って行きました。
  • 為我井氏の家紋は、丸に木瓜ですが、旧家に伝わる器に丸に二つ引き(足利家)があったと聞いたことがあります。ただ私の家では、弓張り提灯の裏面に丸に一つ引き(新田家)があったと聞いたことがあります。確かに岩松田部井氏は、父が足利、母が新田氏ですから。 *操作関係が苦手な為、ダブって投稿してしまい、お見苦しいことお許しください。
  • 為我井(ためがい)の本来の名字と思われる田部井(ためがい)は、 上野国佐位郡田部井郷(群馬県伊勢崎市田部井を領有した、新田氏の一族の岩松四郎経氏が始まりということになっています。この田部井という地。どう見ても、『ためがい』と読めません。もしかして、国語に詳しい方なら、『め』と『が』が本来なら同じとか主張出来るのかもしれません。私は、今のところ、そこまで至っていません。ただ、古文書をほんの少しかじっているだけの私ですが、一つの仮説を立てました。 『ためがい』を単純に『水を集めたところ』と解釈して、①まず、田部井は当て字である②『め』と『部』のくずし字に、似ているものがある③よって、『ためがい』と呼ばれていた地を漢字にした時、田メ賀井と書いて新田荘の役人に届け、それが間違って『部』と変わってしまった、というのが私の考えです。もちろん、確かな史料があるわけではないので、永遠に謎かも知れません。
  • 為がい姓と爲がい姓。 為と爲。調査された方は、混同しているみたいです。 ①江戸時代の史料では、為の字を使用しています。 ②明治期の戸籍届では、爲を記載しています。 ③現在、公式以外では為を使う人が多く、電話登録も各家それぞれに届け出たので、調査した際に為我井姓と爲我井姓が別々に存在すると勘違いしたようです。 実は、この爲の字も本当は違うのですが、今回はここまでとします。
  • 訂正があります。佐野村の現有する最古の検地帳は、延宝年間(1670年代)ではなく寛文4年(1664)の誤りでした。

【名字由来教えてください】

為我井の由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。
「為我井」さんの由来やルーツ、一族の伝承や秘話等、この苗字に関するさまざまな逸話を教えてください。
削除パス
※削除パスを指定しないと削除ができなくなります。

為我井姓について由来や字の意味、他の読み方、画数、ローマ字表記、などいろいろな情報を掲載しています。

為我井さんの苗字愛 レベル

苗字レベル:1ポイント:4
「為我井」という苗字愛のレベルを表示しています。まだ誰からも支持されていないようです。この名字を支持したいという人は、詳細情報のページから卵を割ることで支持することができます。
レベルは為我井さんの詳細ページにある卵をクリックすることでポイントがためられレベルが上がります。

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