苗字 為我井の由来
為我井姓に関する由来・ルーツのページです。"為我井"がつく地名、同姓の多い地域、使われている字の意味、成り立ちや出自といった様々な観点でルーツを検証しています。またユーザ様よりよせられたこの姓の由来、逸話等を掲載しております。掲載されていないルーツや逸話をご存知の方は教えていただけると助かります。
名字の由来と起源
【皆さんからいただいたコメント】
- 伊賀忍者だったってなくなった祖母から聞いた
- 幕末に財力があった為我井2家が系図を作成しましたが、この初代2人が兄弟で、但馬と丹後という名になっています。しかし残念ながら、これを証明する史料が残っていないのと、隣村の瀬戸井村の慶長検地帳に但馬と丹後の名前があることから、
私の推測になりますが、系図作成にあたってこれらの名を借りて来た可能性が大きいと思います。
ただこの2家が代々組頭と一時期を除いた大半に名主を勤めていたのは事実です。ただこの名主家、延宝期に別れた分家筋なので、何故名主になれたか疑問が残るところです。
ちなみにこの名主家、太平洋戦争後の農地解放で東京に移って行きました。
- 江戸時代前期の延宝検地帳(1670年代頃)が残されています。これが、今のところ佐野村と為我井一族を知る最古の古文書です。
宗門人別帳は、宝暦年間(1750年頃)に作成されたものが1冊があり、また絵図も幾つか残されています。
- 『為我井』は、当て字であろうと思われます。為我井氏が田部井氏と同族だとしての話ですが、茨城県に移住した人たちだけが、この漢字を何故使用したのか全然わかってません。ちなみに、江戸時代中期の墓石に、施主の父が為我井、子が為貝と彫られてあるのもあります。
江戸時代の人は、漢字にはあまりこだわっていなく、いろんな漢字を使用していたみたいです。
- 為我井(ためがい)姓は、茨城県結城郡八千代町大字佐野と大字西大山(八千代町合併前は大字大山で、江戸時代は、佐野村から分かれた大山新田)に集中しています。
江戸時代初期の古文書は、現在のところ現存していないのでは無いかと思われます。よって為我井姓のことも村の歴史も江戸時代初期については、謎が多いのが事実です。ただ言い伝えが正しいとすれば、為我井一族は、群馬県の新田氏の一族岩松氏から分かれた田部井(ためがい)氏に繋がっていることにななります。
私が聞いた言い伝えは、『昔赤城山の方から二人の侍が馬に乗ってやって来た』というものです。しかし、
田部井氏発祥の地の群馬県佐波郡東村(現伊勢崎市)の教育委員会の調査では、『系図が繋がらないので、田部井氏の一族と断定は出来ない』ということで、東村史では『茨城県八千代町に為我井姓がある』だけの掲載で終わっています。
- 為我井氏の家紋は、丸に木瓜ですが、旧家に伝わる器に丸に二つ引き(足利家)があったと聞いたことがあります。ただ私の家では、弓張り提灯の裏面に丸に一つ引き(新田家)があったと聞いたことがあります。確かに岩松田部井氏は、父が足利、母が新田氏ですから。
*操作関係が苦手な為、ダブって投稿してしまい、お見苦しいことお許しください。
- 幕末に財力があった為我井2家が系図を作成しましたが、この初代2人が兄弟で、但馬と丹後という名になっています。しかし残念ながら、これを証明する史料が残っていないのと、隣村の瀬戸井村の慶長検地帳に但馬と丹後の名前があることから、
私の推測になりますが、系図作成にあたってこれらの名を借りて来た可能性が大きいと思います。
ただこの2家が代々組頭と一時期を除いた大半に名主を勤めていたのは事実です。ただこの名主家、延宝期に別れた分家筋なので、何故名主になれたか疑問が残るところです。
ちなみにこの名主家、太平洋戦争後の農地解放で東京に移って行きました。
- 為我井(ためがい)の本来の名字と思われる田部井(ためがい)は、
上野国佐位郡田部井郷(群馬県伊勢崎市田部井を領有した、新田氏の一族の岩松四郎経氏が始まりということになっています。この田部井という地。どう見ても、『ためがい』と読めません。もしかして、国語に詳しい方なら、『め』と『が』が本来なら同じとか主張出来るのかもしれません。私は、今のところ、そこまで至っていません。ただ、古文書をほんの少しかじっているだけの私ですが、一つの仮説を立てました。
『ためがい』を単純に『水を集めたところ』と解釈して、①まず、田部井は当て字である②『め』と『部』のくずし字に、似ているものがある③よって、『ためがい』と呼ばれていた地を漢字にした時、田メ賀井と書いて新田荘の役人に届け、それが間違って『部』と変わってしまった、というのが私の考えです。もちろん、確かな史料があるわけではないので、永遠に謎かも知れません。
- 為我井姓が集中している佐野地区には、他に5~6つの名字を名乗る一族が古くからいます。延宝検地帳には、もちろん名字が記載されていないので、特定は出来ません(一部為我井姓のお宅は数軒確定しています)が、この史料でわかることは、一軒だけ畑地をたくさん所有していること、田地に関しては、極端に少ないお宅もあるが、概して各家とも差が無いことがわかります。
佐野地区は、為我井氏(2人の兄弟)が開拓したとも言われています。しかし数少ない史料からではありますが、
①系図の信憑性、検地帳の内訳から推測するに、佐野村は江戸時代以前から為我井氏やその他の氏によって開拓されていたと思われます。ただ西部の高台である戸呂賦ヶ原(とろぶがはら、アイヌ語で当て字ではなかろうかと、近くにアボッケというアイヌ語の地名の場所もあります)
は、その後も開拓されました。
②開拓にあたっては、数人では無く数十人の可能性が高いので、私は為我井一族の集団移住により成されたのでは無かろうかと思っています。牛久から為我井姓を名乗る人が、佐野にやって来たという話も聞いたことがあります。
- 為我井本家(正確に言うと、江戸時代後期に分家を出した為に、新宅から見て本宅と言われた家)やもう一軒に、江戸時代末期作成の系図が残されています。そして私は、その系図を解読した方のコピーを持っています。ただ残念なことに、読み間違いがあるのと、系図そのものの精度が低いのではなかろうかと思います(特に江戸時代前期)。ただこれを基にいろいろ調査が出来るので、
貴重な資料ではあります。大事に保管されていたお宅には感謝しています。
- ルーツは群馬県の田部井という武家から2つのルートで分れたと都内の学者から聞きました。
その学者から送られて来た家系図を遠く遡ると源義経も存在します。
- 為がい姓と爲がい姓。
為と爲。調査された方は、混同しているみたいです。
①江戸時代の史料では、為の字を使用しています。
②明治期の戸籍届では、爲を記載しています。
③現在、公式以外では為を使う人が多く、電話登録も各家それぞれに届け出たので、調査した際に為我井姓と爲我井姓が別々に存在すると勘違いしたようです。
実は、この爲の字も本当は違うのですが、今回はここまでとします。
- 源氏の武士だったと亡くなった祖父は言っていました。
茨城県結城郡に為我井村?があり、そこから出てきたこと、我が為に井戸を掘るという意味だとも言っていました。
- 『為我井』は、当て字であろうと思われます。為我井氏が田部井氏と同族だとしての話ですが、茨城県に移住した人たちだけが、この漢字を何故使用したのか全然わかってません。ちなみに、江戸時代中期の墓石に、施主の父が為我井、子が為貝と彫られてあるのもあります。
江戸時代の人は、漢字にはあまりこだわっていなく、いろんな漢字を使用していたみたいです。
- 訂正があります。佐野村の現有する最古の検地帳は、延宝年間(1670年代)ではなく寛文4年(1664)の誤りでした。
文字の意味から由来を探る
為の由来
種類: | 会意文字 |
意味: | なす。する。 つくる。 ため。~のため。おさめる。 |
由来: | 爲の原字は「手+象」で、象に手を加えて手なずけ、調教するさま。人手を加えて、うまくしあげるの意。転じて、作為を加える→するの意となる。また原形をかえて何かになるとの意を生じた。 |
我の由来
種類: | 象形文字 |
意味: | われ。自分。 |
由来: | 刃がぎざぎざになった戈(ほこ)を描いたもので、峨ガ(ぎざぎざと切りたった山)と同系。「われ」の意味に用いるのは、我ガの音を借りて代名詞をあらわした仮借。 |
井の由来
種類: | 象形文字 |
意味: | い。井戸。いげた。まち。人の集まる所。 |
由来: | 井は、四角いわく型を描いたもので、もと、ケイと読む。形や型の字に含まれる。丼は、「四角いわく+・印」の会意文字で清水のたまったさまを示す。セイと読み、のち、両者の字形が混同して井と書くようになった。井は、また、四角にきちんと井型に区切るの意を派生する。 |
※発祥の地や何らかの関わりがあることを保障するものではありません。もし
記載の地名と発祥の関係をご存知の方は是非教えてください。
住んでいる地域から由来を探る
本サイトのデータでは為我井姓の方は全国に1400世帯ほどいるようで、日本で6819番目に多い名字のようです。 最も多く住んでいらっしゃる都道府県は茨城県のようです。その後東京都、神奈川県にいらっしゃる方が多くなっているようです。最も多い茨城県と2番目の東京都の差は倍以上あるため、もしかすると茨城県がこの苗字発祥の地といえるかもしれません。為我井姓の方は3位までの都道府県における地名には見られないことから、地名が由来というわけではないと思われます。
順位 |
都道府県 |
世帯数 |
| 茨城県 | 約710 |
| 東京都 | 約200 |
| 神奈川県 | 約180 |
| 千葉県 | 約170 |
| 埼玉県 | 約120 |
| 静岡県 | 0~10前後 |
| 新潟県 | 0~10前後 |
| 栃木県 | 0~10前後 |
| 北海道 | 0~10前後 |
| 広島県 | 0~10前後 |
全国分布詳細はこちらからご覧いただけます
為我井姓の成り立ち
為我井姓の出自
武士や公家の出自という確認がとれないため、おそらく庶民の出であると考えられます。
氏神の由来を探す
苗字にはその地域で称えられていたものに由来するケースもあります。ここでは"為我井"の名がつく神社を紹介しています。
みんなが知ってる為我井さんはこんな人
由来や発祥とは関係ありませんが、本サイトの
為我井姓のページで皆さんからいただいたご意見を集計した内容を表示しています。
本サイトのアンケートでは知力派の方が多いようです。またいい人の割合が多く為我井姓の方は眉目秀麗な男女が多いようです。
「為我井」さんについて教えてください!
苗字の由来
為我井姓の読み方や、ローマ字表記、名字としての分析や運勢など、もっと詳しい情報を知りたい方はこちら。
どんな人か教えて!!
あなたがご存知の「為我井」さんはどちらかというと頭を駆使する知力派、はたまた肉体勝負の体力派、それとも個性豊かな芸術派?
いい人ですか?そしてカッコいいまたはキレイな人ですか?
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こんな名前で呼ばれてます/呼んでます
自分はこんな呼称で呼ばれてます、または為我井さんへ皆さんが親しみをもって呼ぶときの愛称やニックネームを教えてください。好意的なものであればあだ名でも構いません。
※ひらがなでお願いします。一回に複数の呼称を入れないようにお願いします。
こんな名前に間違えられました
よく間違えて呼ばれる、誤って覚えられてしまう、宛先でよく間違えられる名前があれば教えて是非ください。結果は近日このページまたは特設ページにて公開させていただきます。
読み間違えはひらがな、書き間違えは漢字でひとつずつお願いします。
≪読み間違え≫※ひらがなで一つずつお願いします
≪書き間違え≫※漢字で一つずつお願いします