吉ケ別府さんの掲示板
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今日は墓参りに鹿屋へ帰りました。そして長老宅へ焼酎持って顔だしました。長老は『じあんが喜んが』と言いながら数の子をくれました。鹿児島もまたコロナが増えてきているのでおいとましました。長老は顔に赤みがあり元気そうでした。また春先顔だしますと言って長老宅をあとにしました、ら 出身の友達夫婦を案内する道すがら上谷田建設と言う看板を見つけました。以前長老から、ばあちゃんは上谷田から来たと聞いていましたのでなにか感慨深いものがありました。そして同時にそのことを教えてくれた長老は元気にしているか直ぐに思うことでした。いつも長老に会って知らない私達の先祖の四方山話まだまだ聞きたいとと思うこの頃です。 先日県外に住む鹿屋
皆様暑い日が続いていますがいかがお過ごしですか?なかなか流行り病コロナが落ち着きをみせないなか不肖私も残念ながらかかってしまいました。皆様におかれましては十分気をつけて日々をおくってくださいませ。昨日は盆に墓参り出来なかったので行って参りました。このご時世なかなか身内にも会うこともままならず帰ることでした。最長老の元気な様子も伺いたかったのですがそれも仕方ないと納得しながら帰ることでした。 皆様 今年の2月の中頃墓参りに帰った。毎年1度は参る父のお姉さんの眠る墓にも今年も行きました。墓のすぐ近くに住む従姉妹のお姉さんにも今年も会うことができました。少しお茶をいただきながら話させてもらいました。お姉さんはやはり飾らない見たままの気さくさな人柄の人のようです。その話のなかでお姉さんのお父さんは相当厳しい人だったようです。子供ながらも簡単にお父さんへ声をかけられなかったようです。戦争に行ったことが叔父の性格を変えたのか私にはわかりません。ただ隣りに住む私達にはそのような厳しい叔父を垣間見ることはありませんでした。ただ従姉妹のお姉さんが言うには私達の祖父母が他界した時からがらりと人が変わったと言っていました。何が叔父の心を変えたのか解りませんが叔父の心を変える大きな要因があったのでしょう。お父さんの話をするお姉さんも自分の父親の話をするなかでやはりこのお姉さんも親譲りの強い人なんだと思わされました。 身内ながらも人目をはばからず人として尊敬できる人間です。接してきて自然体で語る長老に会う度に魅せられています。 私が最長老に惹かれる理由は彼そのものの生き方なのではと気づかされます。それは作ろうととしても出来るものではない彼が歩いてきた人生そのものが人を惹きつける理由ではないでしょうか、 昨日長老宅へ顔だしてきました。長老は日があたる窓際に背もたれに腰をおろし昼寝をしていました。顔色も良く機嫌良く迎えてくれました。70数年前祖父母が口にしていた焼酎宝星を届けたことを伝えると非常に喜んでいました。長老から以前祖父母は宝星を呑んでいたことを聞いていたので「やっと届けられた」思いでした。それから長老は甥っ子姪っ子たちがそれぞれ活躍していることを良く覚えていて私に説明してくれました。東大、東工大、熊大など高学歴をおさめアメリカへ留学した話しや農業分野で活躍しているなど記憶力の鮮明さを私に感じさせながら話してくれました。またひ孫が家の鍵を開けるよう頼みに学校帰りに長老宅へ寄るそうです。なんとも微笑ましい日常なんでしょう 昨日 |
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