戸所さんの掲示板

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足あと

森林火災、洪水、大地震。地球の歯車が温暖化で狂い、内外で自然災害が頻発している。で、小生の今年のテーマは「サバイバル」。伝説の〝柘植アタックサバイバルナイフ〟を運よく入手。こいつを片手に、想定できる「極限状態」を生き抜く知識・技術の修得、訓練に励むのだ。先祖(戦国武士)返りだな。
(2020/01/05 12:21:11:INAZUMA)


(2020/01/05 12:20:24:名無し)

くつの足あと(2019/08/11 05:29:54:名無し)

足あと(2019/08/11 05:28:46:名無し)

梅雨の合間、庭で久しぶりの抜刀の稽古。基本の手ほどきは受けたが、今は「我流」。型ではなく、実戦想定の抜刀術だ。我が戸所家の先祖は戦国武士、明治の廃刀令・秩禄処分後も、曾祖父は内務省警視局の警部に〝トラバーユ〟し、日本刀を差していた。腰の刀を抜く瞬間、なぜか血が騒ぐのだな。先祖の血かな。
(2019/07/14 16:55:53:INZAZUMA)

戸所家は群馬・榛名山東南麓に発祥した地侍の一族。家伝では菅原道真の末裔とされる。惣領家親子は幕末の戊辰戦争時に戸所弁太夫菅原芳正、大助菅原芳光を名乗り、家紋も「裏梅鉢」だが、真偽はわからない。戦国以前の室町期は鎌倉・円覚寺の荘園「豊岡荘」(高崎市上豊岡町周辺)の荘官か、名主だったが、関東管領上杉氏と鎌倉公方足利氏との下克上の内乱が起こり、惣領家は地侍(土豪)に変身。荘園請負地を私領化し、その地形の特徴を取って「戸所」の名字を名乗った。「戸」とは「水流の出入りするところ」、「所」とは「領有する土地・地域」を意味する(広辞苑)。この地は群馬、長野県境の鼻曲山に源を発する烏川と、両県境の碓氷峠が源の碓氷川との合流点の北西約3.5㌔にあり、「上野国郡村誌」には「水利便ナレドモ毎歳水害ヲ免カレス」とある。この地形を名字にとることで、自領の領域を内外に明らかにしたのであろう。ちなみに、「戸所」は榛名山南東麓のこの一族固有の名字であり、全国に散見される「戸所」家はすべて同根である。   
(2018/09/05 13:27:30:INAZUMA)

戸所家は群馬・榛名山東南麓に発祥した地侍の一族。もとは鎌倉・円覚寺荘園「豊岡荘」の荘官か、名主だったが、関東管領上杉氏と鎌倉公方足利氏との下克上の内乱が起こり、惣領家は地侍(土豪)に変身。荘園請負地を私領化し、その地形の特徴を取って「戸所」の名字を名乗った。「戸」とは「水流の出入りするところ」、「所」とは「領有する土地・地域」を意味する(広辞苑)。この地は群馬、長野県境の鼻曲山に源を発する烏川と、両県境の碓氷峠が源の碓氷川との合流点の北西約3.5㌔にあり、「上野国郡村誌」には「水利便ナレドモ毎歳水害ヲ免カレス」とある。この地形を名字にとることで、自領の領域を内外に明らかにしたのであろう。「戸所」は榛名山南東麓のこの一族固有の名字であり、全国に散見される「戸所」家はすべて同根である。   
(2018/09/05 12:30:18:INAZUMA)

戸所姓の由来。戦国時代、西上野国(群馬県高崎市、前橋市周辺)に居住した地侍の一族。歴史資料では武田信玄に滅ぼされた箕輪城(高崎市郊外)の有力国衆・長野氏の直属家臣団名簿に「戸所姓」が散見される。落城後は武田氏、武田氏滅亡後は北条氏、北条氏滅亡後は徳川四天王の井伊直政(初代高崎藩主)の配下に入った。直政の転封に伴って一族は滋賀県に移るか、隣の総社藩主・秋元氏の家臣となるか、在地で帰農した。現在も前橋市の総社地区には約20軒の戸所家が在住。また総社藩士となった戸所家は藩主・秋元氏の転封に伴って甲斐谷村藩、武蔵川越藩、出羽山形藩、上野館林藩と各地を転々。幕末の館林時代は河州郡奉行の要職にも付き、古絵図に館林城大手門内に大きな戸所姓の屋敷もみえる。
(2017/05/31 11:50:53:INAZUMA)

足あと(2017/04/09 09:41:25:名無し)

例)世界中の戸所さん集合!!

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